エスは、器用だ。
 かつての彼女は感情のコントロールが得意ではないようだったから、なんとなく、本当になんとなく、器用ではないイメージがあったのだが。意外に思っていたのが顔に現れていたのだろう、「……意外だったかしら」と先手を取られてしまって、慌てて首を横に振る。彼女は気を悪くしなかったようで――いや、むしろ機嫌はずいぶんといいようで、小さめの口に優しい微笑みを浮かべたまま、何かを待っていた。
「それ、開けてくれないの?」
 問われて、はっとする。慌てて視線を戻した自分の手には、エスからもらった平たいギフトボックスがある。
「――今日が何の日か知っている?」
 ついさっき、エスは少しだけ目を逸らしながらそう言って、彼女らしいシンプルなブルーグレーの紙に包まれたギフトを差し出してきたのだ。平たい箱には細くて蒼いリボンが十字に巻かれ、その白い手袋をわずかに照らしていた。
「バレンタインデー、かな」
「そうね」
 こういうことをごまかすのを、エスはあまり好まない。ストレートに返すと、受け取りを促すようにこちらを見た。
「これ……あなたに食べてほしくて作ったの」
 ――そのときの、衝撃たるや。
 今ならエスの可愛さに対する衝動のあまり、拳でエゴ王を叩き割ることができるかもしれない。
 ともあれ、わずかな上目遣いや恥じらいを含んだ声や、自分のための手作りという事実のすべてに打ちのめされながら、半ば放心状態で受け取っていたその包みを再び眺めた。
 改めて思うが、エスは存外器用なようだった。
 箱の大きさは片手の手のひらを隠す程度。やや右上に架かる十字の部分には、ほのかに蒼く光るリボンの蝶が美しい左右対称を描いている。惜しくなる気持ちを堪えてするりと蝶結びをほどき、折り目正しくラッピングされた包装紙に指をかける。テープを剥がし、包装紙を剥いて、白い箱を取り出す。
「開けてみて」
 最後の確認で、エスの顔を見る。どこかあどけない少女のような微笑みが後押しとなって、箱の蓋を開けて――
「……」
 絶句した。
「どうかしら?」、と。そう問いたげなエスの純粋な瞳が突き刺さる。
「……個性的で、素敵だと思う。すごくよくできてる、本当に、すごく、よく」
 これ以上の沈黙はエスを傷つけてしまう。慌てて言葉を選び、感想を述べる。嘘は言っていない。少し盛っただけで、偽りはない。
 それを聞いた彼女は、くす、と笑った。
「そうでしょう? よかった、あなたならわかってくれると思ったわ」
 うっとりと。手袋を嵌めた右手を自身の頬に触れさせ、エスはつぶやく。それは、先ほど見たあどけなさの度を越えた、いっそ狂気をも孕む昏い微笑みとともに吐き出された言葉だった。
「このチョコレートをね、こうして」
 箱がさっと奪われ、テーブルの上へ置かれる。エスは、何の感慨もない顔で、白手袋に包まれた拳を高く掲げ、
「壊すの」
 衝動のまま、振り下ろした。
 パキ、という小気味のいい音が静寂に響く。チョコレートに叩きつけられて少し汚れた彼女の手が持ち上がると、元の形――『エゴ王の形をした』そのチョコレートは、無惨に割れていた。
「エス、どうして……?」
「おかしなことを訊くのね。言ったわ、私は壊したいものを壊して、愛したいものだけを愛す、って」
 投げかけられた冷え切った言葉と瞳に、ぞっ、と肌があわ立つ。
「――さあ、この忌々しいクソ壁野郎を、二人で嗤いながら食べましょう」
 箱の中で破片と化したエゴ王が虚無を浮かべて天を仰ぎ、食べられるのを待っている。
 頭の中で、彼らの声が響いた気がする。
 お前は失敗したのだ、あなたは失敗したのよ、と。

(アン)ハッピー・バレンタイン :2019/02/14
back page