アジトに到着するなり、ソロモンは思わず深い息を吐く。
日々のほとんどを旅に費やしていて長く居座ることはあまりないが、それでもここは村を失ったソロモンにとっての家だ。帰ってくれば、心地よい疲労に襲われる。
「お帰りなさいませ」
執事を務めているアリトンが出迎え、恭しく頭を下げる。「お荷物、保管庫へとお持ちいたします」と手を差し出した。ソロモンは労いの言葉と引き換えに、探索と買い出しに付き合ってもらっていた数柱のメギドから荷物を受け取る。そのおよそ半分を、アリトンへと渡した。
「それにしても、毎度大荷物だな……」
「このアジトに出入りする人数も多くなりましたからね」
荷物を渡したメギドたちは、それぞれ思い思いの場所へ戻っていく。残ったソロモンとアリトンは内容物を確認し、保管場所によって大きく分別する。
「よっ、と……。それじゃあ、そっちはよろしくな」
「ええ、お任せください」
「助かるよ」
ややあってソロモンは倉庫で管理する素材などの入った袋を抱え、アリトンは食材など台所への荷物を両手に持ち、立ち上がる。
各々の担う場所へ向かい始めたちょうどそのとき、通路からドタバタと元気のいい足音が聞こえ、それに相応しい勢いで扉が開かれた。
「召喚者! 帰ったのか!」
先に扉から入ってきたのは、ハキハキとした声だった。その後に幼い少女の姿をしたメギドが現れ、太陽にかざした黄金郷の輝石みたいな美しい髪をなびかせながらソロモン目がけて駆け寄った。
「キマリス、ただいま」
「召喚者よ、キマリスは果物が食べたいぞっ!」
奔放なキマリスが挨拶もせず、強気な眉毛をきりりとさせて要求を告げる。ソロモンは気を悪くした素振りもなく、アリトンを振り返る。
「果物なら、ちょうど買い込んできたところだな」
「本当か? キマリスの分はあるのか?」
「ああ、当たり前だろ」
ソロモンが微笑むと、キマリスはアリトンの袋に目を向ける。期待に満ちた視線を日頃と同じ涼しい瞳で受け止めたアリトンは、微かにうなずいた。
「では、すぐに片付けを終わらせてご用意いたします。ソロモン様もどうぞご同席ください、温かな紅茶をお淹れしましょう」
彼の淹れる紅茶は文句なく美味しい。幻獣との戦闘とはまた異なった疲れを蓄えた心身には魅惑的なその申し出を、ソロモンは快く受け入れることにしたのだった。
リビングのテーブルに備え付けられた椅子は、キマリスにはまだ大きい。座面にしっかりと腰を下ろすと床から浮いてしまう両足は、ぷらぷらと所在なさげに動いている。
「キマリスは、リンゴをそのままガブッとするだけでよかったのにー」
膝のところに置いた両手が、スカートにキュッと皺を走らせている。口もやや尖り気味で、少しばかり待たされているキマリスのご機嫌は少しばかりよろしくないようだった。
「まあまあ、もうすぐ来るって」
「お待たせいたしました」
「うわっ?!」
ソロモンがなだめるのと同時、アリトンが給仕ワゴンを押して現れる。気配はおろか音すら立てずに登場するため主人をたびたび驚かせているのだが、それを本人が意に介した様子はない。テーブルの近くに寄せたワゴンから、取り分ける用のプレートやカトラリー、シュガーポット、ミルクピッチャーをきびきびした動作で移動させる。
「ソロモン様、本日の紅茶はダージリンにいたしました」
「あ……ああ、ありがとうアリトン」
ティーコージーを外したティーポットを高く上げ、紅茶を注ぐ。ソーサーの上へセットしたティーカップをソロモンの前に置いた後、キマリスの横に立つ。
「キマリス様には、こちらを」
コースターを敷いた上にメトセラの樹蜜とカットフルーツの入ったグラスを出し、そこに炭酸を一気に注ぎ入れる。「わあ……」というキマリスの口からこぼれた吐息に、アリトンが双眸を少しだけ細める。
そして――テーブル中央へ三段スタンドが置かれると、キマリスの吐息が、今度は声のない歓声に変わった。
色とりどりのフルーツが丁寧にカットされ、綺麗に盛り付けられている。待たされたとは言うが、かかった手間を考えれば速すぎるほどの手の込みようだ。
「相変わらずすごいな……!」
「お褒めに預かり光栄です、ソロモン様」
キマリスの称賛を、ソロモンが代弁する。芸術的という意味での美しさはもちろん、食欲をそそるという意味合いでも一級品だった。
「アリトン、俺は後でいいから、先にキマリスに食べさせてやってくれないかな」
「かしこまりました。……キマリス様、取り分けさせていただいてもよろしいですか?」
自称さいきょーのメギドは、つぶらな瞳にフルーツを映したまま、穏やかだがなんとはなしに有無を言わさないアリトンの問いかけにコクコクと首を振る。
「さあどうぞ」
間もなくフルーツプレートが差し出されると、キマリスの表情が華やぐ。
幼いヴィータ体に合わせて食べやすくカットされた色鮮やかな果物を前にして、フォークを握り締めた手がぐるぐると迷い、最終的にリンゴをブスッと突き刺した。口に入れた途端、その頬が喜びで上気する。
「んんっ……おいしいぞ、召喚者! それも、こっちも、ぜんぶ!」
キマリスは、次々と元気よくフルーツに手を伸ばしていく。元気がよすぎて唇の端から果汁を滴らせているのに気づいて、ソロモンはくすくすと笑った。
「な、キマリス。そのまま食べてもおいしいけどさ、こうやって誰かが手間暇かけてくれたものも、たまにはいいだろ?」
ソロモンが、キマリスの口をそっと拭う。キマリスは、一瞬きょとん、とした後で、
「召喚者は……ときどきオンジみたいだ」
真剣な眼差しを浮かべ、ふとつぶやいた。
「えっ?! 俺、そんなにジジ臭いかな?!」
「……ソロモン様。そうではなく、きっとキマリス様は、あなたの優しさを――」
「わー!! おかわり! キマリスは、おかわりだぞ!」
様々なことに敏感なくせに、妙なところで鈍い主人へ補完しようとしたアリトンに、キマリスは頬を膨らませ、慌てて空になったプレートを手渡す。
「これはこれは……失礼いたしました」
「まったくそのとーりだっ!」
アリトンが少し含みを持った微笑みのまま、既に用意してあった新たなプレートを差し出す。キマリスはまたフォークを握り締めて、やや慌てた様子でフルーツを頬張り始めた。
しばらくぽかんとしていたソロモンだったが、再び元気いっぱいに食べる姿を見て、すぐに相好を崩す。
キマリスの碧い瞳が、一口食べるごとに幸せそうに輝いている。
喜びに満ちるその色は、彼女と出会った日に初めて見たあの――透明度の高い海のようで、ソロモンはそれを眩しそうに見つめながら、自分もリンゴを口に入れた。