「あの、カスピエル……ちょっといい?」
 夜の酒場は、ざわざわとした賑わいを見せている。その喧騒の中、カスピエルは一人の女に声をかけられた。それは“よく使う”女で、ちょうど昼間に頼みごとをしていた相手だった。
「もちろんや、どないしたん?」
 とろけるように微笑んで、薊色のメッシュの入る長いピンクの髪を指でそっと耳にかける。その流れるような仕草のまま女の手首を優しく引き寄せると、晒した耳へと内緒話するように促す。
 ヴァイガルドの女は全て自分のものだと思っているインキュバスは、同じテーブルで二人を見ながら端麗な顔をいささか不機嫌に歪めていた。だが、カスピエルが女から聞いている話が必要な情報だとわかっているので、口を挟むことはしない。
「へえ、そうなんや……。助かるわ」
「ううん、あなたの役に立てたなら嬉しい」
「……いつもありがとうな」
 手短に話を終えた女は、カスピエルからの言葉にうっとりと目を細めてうなずいた。一言二言挨拶を交わすと、身を翻して酒場を出て行く。
 その始終を同じテーブルで飲みながら眺めていた男が、インキュバス以外に、もう一人。
「カスピエル、お前よぉ……」
 ロックグラスのふちを中指と親指で渡すように持ったメフィストが、口を開く。
「ん? 今の、好みの女やったんか?」
「ハッ……悪くはねぇけどよ、別に目の色変えるほどじゃあねぇな」
「ほな、なんや?」
 残りわずかな酒をぐいとあおり、メフィストは口の端を持ち上げた。
「お前、今の女、もう使わねぇつもりだろ」
「……へえ。なんでそない思たん?」
 カスピエルは一瞬わずかに両目を見開いた後で、満月のような金色の右目だけを細める。肯定とも否定とも取れないその態度は、メフィストの銀灰色の瞳を愉しげに染めた。
「そうやって質問で返してくるってことは、図星だな」
 やや浅黒く骨張った指が空になったグラスを揺らせば、中で氷がカランと鳴る。
 勝ち誇ったメフィストをしばらく見つめ、ややあってカスピエルは降参のつもりでため息にも似た呼気を吐いた。手を上げて女の店員を呼ぶと、柔らかな笑顔を浮かべて店員にメフィストの分の酒の注文を済ませた。
「メフィストに見破られるなんざ、オマエも焼きが回ったな」
 反対側に座るインキュバスがクク、と喉を鳴らす。非難の眼差しが両者から向けられたが、それを気にする男ではない。
「それで? なんでそう思てん、メフィスト」
 カスピエルは椅子に座り直し、背もたれに身を預ける。反対に、メフィストは運ばれてきたご褒美の酒に上機嫌で口をつけた後、テーブルに前腕を置いてやや前のめりになった。
「お前が自分の薄情さや狡猾さを相手に隠すとき、呼吸のリズムが変わるんだよ。当人同士はわからないかもしれねぇけど、俺からすりゃバレバレのイカサマってことだな」
 ほう、とカスピエルが感嘆の声をもらす。
「だてに賭け事やってるわけやないんやな、お前……」
「当然だろ? そういう細かいとこ、案外見てるんだぜ、俺は」
 したり顔でグラスを傾ける。琥珀色の酒は肉の薄い首を通っていった。
 カスピエルは脚と腕を組み、黙ったまま考えに耽る。メフィストに見抜かれたというのは悔しいが、自分にとっては有益な情報だ。賭博師へと向けた金色の瞳は、意味ありげに細められ――すぐに、和らいだ。
「ええこと聞かせてもろたわ。礼として、もう一杯奢ったる」
 言いながら目配せを隣へ送る。意図をすぐに察したインキュバスが「オイ女」と店員に声を掛け、三人分の酒と料理を
注文した

「おまっ……それ、奢るって言うか?!」
「まあまあ、細かいことは抜きにして飲もうや。な?」
 くす、とカスピエルが笑い、インキュバスもかすかに鼻を鳴らす。帽子を押さえて肩をすくめていたメフィストも、最終的には吐き出すように笑い出し、三人は届けられたタダ酒で今夜何度目かの乾杯をしたのだった。

俺の手のひらでDance :2019/06/20
back page