ノックの音が響く。返事をすると、それとほぼ同時のタイミングでドアがスライドして開いた。
ドアまで迎えに出たマシュはどちらかと言えば表情の少ない少女だったが、珍しい訪問者を前にして、その透き通った目を丸くする。
やってきたサーヴァントは社交性が高く、兄貴肌というのがよく似合うほど面倒見が良い英霊だった。マスターである藤丸立香とも、その関係の垣根を越え、レイシフト先でともに戦うのはもちろん、カルデア内でもよく会話をする。だが思えば、会話の多さに反して、こうしてマイルームへ訪れることはあまりなかった相手だった。
「どうされましたか、クー・フーリンさん」
だが、すぐに襟を正して相手に向き直る。どんな相手にもまっすぐな視線を送ることができるのは、マシュという存在の何よりの美徳だ。
「あー……実は、ちと頼みてえことがあってな」
普段赤い魔槍を持っている手はどこか居心地悪そうにさまよい、一度だけ青い頭髪をがしがしと乱暴に掻く。それから、クー・フーリンはどことなく気まずげながら話を切り出した。
「特異点Fに行きたいって? ランサーの方のクー・フーリンが?」
事の次第を話すと、ドクター・ロマンは意外そうに目を見張った。
クー・フーリンからの頼み事というのは他でもない、立香がマスターとして初めてレイシフトした特異点Fへ行きたい、ということだ。
サーヴァントの中には、これまでレイシフトした都市と関わりがあり、ゆえに異変を感じ取って再訪を申し出る者も多くいる。クー・フーリンが持ってきたのも同様の案件だった。だが、特異点Fにて、立香とマシュに様々な情報や心構えを教え、力を貸してくれたのは、キャスタークラスとして顕現したクー・フーリンである。
ならば、特異点Fに因縁があるとすれば、ランサーではなくキャスターの方の――そこまで言ってロマンは、はたと動きを止めた。
「キミは特異点Fではなくて、冬木市に用がある、ということかな?」
「……ああ、そうだ。オレが行きたいのは特異点F――冬木市にある大空洞だ」
クー・フーリンは苦虫を噛み潰したような表情で言い、そして一度視線を床へ落とす。
「まあ、本来ならオレには関係のねえことなんだが、乗りかかった船っつうか。……真実は、伝えなきゃいけねえ」
そのときのクー・フーリンの顔をどう形容すればいいのか。立香には、望郷の念のような、忘れ物を取りに帰ろうという決意のような、戦地へ赴く覚悟のような、複雑に混ざり合った意志を感じたのだった。
既に探索、人理定礎の復元を終えた土地である。カルデアチームは、燃え盛る冬木の街にある大空洞の中には何があったのかを知っていた。
かつてその中心地には、魔術炉心などというレベルではないほどの強い魔力の柱があった。そこに君臨し、この特異点における聖杯の守り手として立ち塞がっていたのは、黒き聖剣を掲げたブリテンの王である。
戦いの末、消滅を目前にした彼女は一瞬、ほんの刹那、ひどく優しい瞳で遠くを見つめてつぶやいた。
「貴方との思い出の街を離れるのは、……少し惜しい」
当時の立香は、魔術師としてもマスターとしても未熟で無知だったため、後々になってからようやく理解が及んだことだったが、この冬木にいた彼女はオルタ化していたという。
オルタ化はサーヴァントの性質を反転させ、秩序を守る英霊は黒化してしまう。日頃の在り方が善であればあるほど、善の心に悪の影を落とすのだ。というのに、かの王の心は気高くまっすぐで、今、こうして大空洞へ向かう中で思い返してみても、彼女の精神が穢れていたとはついぞ思えない。
レフ・ライノール・フラウロスは言った。彼女は聖杯を与えられながらこの時代を維持しようとした、と。立香やマシュは、今でこそ、そして今だからこそ、それが真実だったのではと感じていた。
誇り高きアーサー王は、ここで、きっと冬木の街を、人理を守ろうとしていたのだ。
「……やっぱりテメエかよ」
ここ――かつては冬木の大聖杯と呼ばれる聖杯が置かれていた大空洞。その中心へ近づくにつれて、クー・フーリンはいつもの軽い口数を減らしていき、到着と同時に、「この、たわけが」と、あまり抑揚なく毒づいた。直後、立香とマシュの間には強い戦慄と緊張が走り、ドクターとマシュがほぼ声を重ねて巨大な敵性反応を報せる。
「――強い敵性反応!」
立香は目を凝らし、反応座標点を見つめる。そこには、シャドウサーヴァントらしき、全身をほぼ黒く染め上げたような人影が立っている。
「この霊基反応は確実にサーヴァントなんだけど……どういうことだ?! クラスの判別がうまくいかない!」
「へえ、なるほどねえ……まあ、そういう可能性もあるか」
カルデアから響くロマンの鋭い声をよそに、いや、それをきっかけにしたのか、クー・フーリンはいつもの飄々とした態度に戻って言った。それでいながら油断ならない獣のような空気を漂わせているのは、周囲の荒ぶる魔力にいつでも反応ができるように、ということなのだろう。
「何しろそいつは、そもそもサーヴァントじゃねえ。……元は、現代の人間だ」
語尾には、いささかの迷いがあった。その迷いを疑問として口にしたのは、マシュだった。
「そんな……けれど、この霊基タイプは確かにサーヴァントの――」
「そうだな。執着、怨念、あるいは別の何か……それが、一人の男に英霊にも等しい力を与えたんだろうよ」
たぶんな、などと無責任に言いながらも、クー・フーリンは説明を続ける。
「そいつは元々魔術師だった。魔術師としては大して強いとは言えねえが、ただ、本能的に生を選び取ることに長けていたように思う」
「じゃあ、彼はこの特異点で……生き残ったっていうのか……?!」
聖杯戦争にほころびが出た特異点Fは、どこもかしこも炎上し、街には焼け焦げた死体があるばかりで、動いているのはアンデッドのような人でないものばかりというひどい有様だった。そのような土地に生存者がいたことを喜ぶよりもまず不可能だと断じて、ロマンが通信の向こうで愕然としている。
「さあな、確かなことは言えねえが――ただ、オレはかつてコイツの心臓を槍で突いた。この必殺の槍で確かに貫いたが、生き延びた。それは間違いない」
この、と言いながら魔槍を掲げ、ついでのように構える。そのまま立香の方に一度視線を向けると、にっと口元を歪める。
「ま、運の強さも戦闘経験も、おまえさんの方が上かもしんねえけどな!」
その言葉が、今まで数多くの戦いを数多くのサーヴァントたちと乗り越えてきたことへの賞賛とわかって、立香が力強くうなずいた。
湿りを帯びていながらピンと張り詰める大空洞の空気には不釣り合いにからからと笑った後で、クー・フーリンは声のトーンを落とす。
「マスター、コイツのクラスはわからなくとも、戦ってみりゃあ戦闘スタイルには見覚えがあるはずだ」
「見覚え……?」
「ああ、カルデアにもいるだろ。弓兵のくせに剣で戦う妙な野郎が」
「妙なアーチャー……ですか?」
マシュが聞き返した瞬間、大空洞の空気が変わった。
「っ、敵サーヴァント、魔力増幅!」
先ほどまでおよそ気付いていないのではと思われるほど、こちらを歯牙にもかけていなかった謎のサーヴァントが、明らかな敵意を立香たちにぶつけてくる。
ただでさえ荒ぶっていた空間の魔力が一層強まり、サーヴァントを中心に渦のように巻いて物理的な風を起こす。まるで、そこにある大気が棘を持ったかのような、隠すことすらしない純粋な魔力の奔流だった。
クー・フーリンが姿勢を低く落とす。マシュが立香の前に立ち、敵との間に巨大な盾を構えた。
「立香くん。相手のクラスがわからない以上、戦闘スタイルから判断して対策を立てていくしかない。護りは同行者のマシュとクー・フーリンに任せて問題はないと思うけど、攻撃指示は慎重に」
「了解、ドクター!」
「マスター、サーヴァント来ますっ!」
予告もなく、風が動く。
目前まで駆けてくるサーヴァントの速度は、並外れて速いというものではない。マシュは冷静に反応し、その盾で剣撃を二度弾いた。
「それは……っ!」
相手を間近で見たマシュから、驚きの声がこぼれる。思いのほか小柄な相手が手にしていた武器は、見たことのある雌雄一対の剣だった。
弾かれたサーヴァントが大きく距離を取る。防がれた剣は二本とも壊れ、その手からすうっと消えていったのが見えた。マシュは――追撃を、行わない。
何かに動揺し、好機を逃したマシュの様子を気にしたロマンが声をかけようとするも、それより先に、サーヴァントが何かの詠唱を始める。慌てて警戒の声を上げた。
「まずい、宝具が発動するぞ! 立香くん、急いでその場を――」
「ダメですドクター! 退避、間に合いません……!」
表情を強張らせたままのマシュが、再び立香の前でシールドを展開する。高まっていく魔力の中、彼女に引き続いて驚愕で息を呑んだのは、盾の中に控えていた立香だった。
――体は剣で出来ている。
立香は、サーヴァントの呪文に既視感を覚えた。言語は異なるが、確かに聞いたことがあった。
「まさか……これは……!」
答えに辿り着いた瞬間、ぱりん、と何かが割れたような音が響いて、宝具が発動する。立香の驚愕をよそに、現実世界は一瞬で変貌を遂げていた。
「私の戦闘について?」
いつだったか、彼を召喚して少しした頃、戦い方、指示の出し方について立香から尋ねたことがあった。
「もちろんお答えしよう。マスターとしては知っておくべきことだろうし、こちらとしても説明すべきことだからな」
どちらかと言えば気障で寡黙な英霊だと思われがちだが、話してみれば他人を邪険に扱うことのできない性分のようだ。嫌な顔ひとつせず快諾した後、半ば巻き込まれたかのように過酷な状況に身を置かれた新米マスターの立香を他人事に思えないと豪語し、扱える魔術、得意な戦い方、苦手な地形など、自身の経験を織り交ぜ、非常に細かく説明した。
後日、彼の世話好きな人間性を指摘したとき、「私も昔は学ぶ側だったし、人からよく教わったからな」などと少しだけ照れたような困ったような顔をしたのが、立香の印象に強く残っている。
彼――英霊エミヤは、アーチャークラスでありながら、基本骨子から構成材質、創造理念、製造技術、担い手の記憶、使い方、その武具に蓄積された成長と経験、その全てを再現し具現する投影魔術の使い手だ。様々な制約はあれど、この世に二振りとない伝説の武器や防具を再現することができる。
「そうだな、私は自ら投影した夫婦剣で戦うことが多い。他のアーチャークラスの英霊に比べて、白兵戦は得意な方だと言えるだろう」
もちろん弓兵としての能力が低いわけではなく、投影した宝具を矢として放つということもできる、と補足する。それから、元々真っ直ぐにこちらを見ていた姿勢を改めて正し、強い眼差しを向けた。
「それから、私の宝具についてだが、厳密に言えば私には自身の宝具と呼べるものはないんだ。あえて言えば、術者の心、いわゆる心象風景を結界として現実に具現させる、魔法に近い魔術を用いている。そう、それが――」
「――固有結界」
眉根を寄せて絞り出すように呟くと、クー・フーリンが隣でご名答と口笛を吹いた。だが、その言動に反して、肌があわ立つほどの緊張を体にまとわせている。
使い手の心象風景に侵食された現実世界は、剣の墓場のような様相を呈していた。風は乾き、生の音は途絶え、辺り一面、荒野のごとく渇き果て、そこには主を失った剣が墓標のようにいくつも刺さっている。
立香はやはりこの風景を知っていた。
教えてもらったことがあった。実際に見たことがあった。指示を出し、戦う術として使ったことがあった。
ならば、発動呪文が酷似していると立香が感じたのは当然のことだった。
これは、そう、錬鉄の英雄であるエミヤが宝具として使う固有結界という魔術――『無限の剣製』と同じ結界なのだから。
サーヴァントが両手それぞれに剣を投影し、握り締める。そして体の正面を動揺する立香へと向けた。
「エミヤ……なのか?」
思わず声を上げる。そう考えて見れば、あの剣は紛れもなく彼が愛用している夫婦剣、干将莫耶だったのだ。
「いえ……いいえ! 確かにそっくりですが、《この人》は違います! エミヤ先輩でも、エミヤ先輩のシャドウでもありません!」
マシュが受けた太刀筋も武器も、まさにエミヤのそれそのものだった。それでも、彼女は違う、と否定する。
この特異点Fの人理定礎を復元した際に出会っているエミヤのシャドウサーヴァントとも、カルデアにいる英霊エミヤとも、そのどちらとも、《彼》は霊基や体格が明らかに異なっていた。
何より――根っこの部分の何かが違うのだと、マシュは感じている。
「おう、お嬢ちゃんの言う通り、そいつはアイツじゃねえぜ。だが、あの弓兵と同じ戦い方をするのを見たことがある。なんで同じなのかまでは知らねえが……使う魔術も戦い方も、まるで一緒だった」
「それじゃあ、あのサーヴァントは一体……?!」
ロマンが全員の疑問を代表して問うと、クー・フーリンは鼻を鳴らした。
「さあな、そういうのを調べんのはそっちの仕事だろ?」
「も、もちろん解析は進めてるとも!」
いささか安定性の欠ける通信でやりとりを行った後、クー・フーリンはこれまで敵サーヴァントから一度も逸らさなかった赤い瞳を、不意に薄く細めた。
「詳しいことはあっちが教えてくれるだろうが……ただ、元のコイツは、この冬木の聖杯戦争に巻き込まれてマスターになったガキだ」
途端、立香の中で様々な憶測や可能性が広がり、四散し、収斂し、急速に帰結する。
「クー・フーリン、《彼》はどのクラスのマスターだった……?」
「ああ、アイツは」
半ば呆然とした立香の問いかけに、クー・フーリンが口を開きかけ――ゆらりと歩き始めたサーヴァントが、その代わりのように呟いた。
「……セイ、バー」
苦しげで、それでいて胸を打つような切実な声は、魔力の塊のような空間に消えていく。そこから堰を切ったように《彼》は、この場にいない少女を呼び始めた。
「セイ……バー、セイバー……セイバー……セ、イバー……!」
「なるほど、事ここに至って狂化しちまったか? お聞きの通りだぜ、マスター。アイツはセイバーのマスターだった。オレが見たのは、黒くない方のセイバーだったがな」
「黒くない方……それじゃあ……」
立香が、悲嘆のこもった息を吐き出した。
あのとき、ここに立ち塞がっていた気高きセイバーはおそらく、マスターたる《彼》と、《彼》の住む街を守ろうとしていたのだ。その性質が反転してしまっても、なお。この狂った聖杯戦争、狂った冬木に在りながらも、なお――。
「霊基データについては多少解析ができた。ただ、当時の記録も見てみたけれど、《彼》は協会に管轄されていなかったはぐれ魔術師なんだろうね。あまり細かいデータは出てこなさそうにないが、もう少し調べてみるよ」
ドクターの声が入る。結界内の魔力がやや安定したのか、通信もあまり滞りがない。
「プロフィールはともかくとして、そこの《彼》は……簡単に言えば、特異点F調査時のオルガマリー所長と同じ状態だよ。おそらく冬木が特異点となった時点で肉体は死んで、魔力や精神エネルギーだけが亡霊のように残っていたんだろう。ランサーのクー・フーリンの言っていた通り、《彼》の強い想いで残った精神エネルギーが、一級の霊地である冬木の特異点という条件において英霊化したものと推測される」
「ドクター、クラスについては不明のままですか?」
「過去にはクラスのない英霊という例もあったようだからね。クラスはなし、という判断でいいと思う。ともかく、カルデアとしてはこの特異点に改めて起きている異変の原因を《彼》と特定した」
「……わかりました」
ロマンとマシュのやりとりを聞きながら、もう一度、立香は大きく息を吐き出した。
どういう経緯があったかはわからないが、セイバーが守ろうとしていた内のひとつであった《彼》。《彼》はセイバーを求めて、この大空洞までやってきたのだろう。あの切望するような呼び声が、《彼》にとってどれほどセイバーの存在が大きかったのかということを如実に表している。
元のセイバーを求めているのか、性質の反転など《彼》にとっては些末事なのかはわからないが、ただ、どちらにせよ、ここにいたセイバーは討ち果たされたのだ。
――なら、そうだ、《彼》に教えてあげないと。
立香がぐっと拳を握り締め、唇を噛み、きっと前を見据えた。
「クー・フーリン、真実は伝えないといけないって言っていただろ? オレも……そう思う。《彼》に教えてあげないといけない」
「……ま、そのために連れてきてもらったわけだしな。オレとしても、それを果たさなきゃなんねえ」
クー・フーリンは槍を構え、低い姿勢を保ったまま前へ進んでいく。《彼》がそれに気づき、立香を真正面に捉えていた体の向きを変えた。
「よう、久しぶりだな坊主。ま、オレのことなんざ覚えちゃいねえだろうが。無論、オレからしたってテメエのことなんてどうでもいいんだが、寝覚めが悪ィのも嫌なんでね。回りくどいのも抜きにして、とっとと終わりにさせてもらうぜ」
かばうように前に立っているマシュが、マスターを振り返り心配そうな顔をしている。立香が、大丈夫、と言葉なく頷くと、彼女はその唇に薄い微笑みを乗せた。
「いいか、よーく聞けよ!」
大空洞に、気風のいい声が響き渡る。
「ここは、まやかしの聖杯が置かれた、まやかしの冬木だ。テメエはもう死んでるし、テメエのセイバーは最早存在しねえ!」
向けられていた《彼》の瞳が、赤く、危険な色に染まっていく。だが、クー・フーリンは意に介さず続けた。
「ここにいたのはなあ! “堕ちた”アーサー王だったし、そのセイバーもとっくに倒されて消滅済みだ! わかったらテメエもとっとと消えやがれ!」
告げられた真実は、その胸にどう響き、どう抉ったのか。《彼》はたちまち大きな叫び声を上げると、荒い息遣いとともに歯をギチギチと合わせた。
「泣いてる……?」
マシュが一度、宝具であるその巨大な盾を下ろしかける。立香はそれを、彼女の肩に手を置くことで留めた。
「先輩……」
「《彼》を想うのなら、きちんと戦うべきだと思う」
「英断だ。ありゃあ情けをかけるべき相手じゃねえ。下手すりゃ返り討ちに遭うぜ」
二人の言葉を受けたマシュはほんの一瞬だけ、目を閉じる。それから強く前を向き、はい、と言いながら盾を立て直した。
それが合図になったのか、枯れた荒野にも似た固有結界の大地に突き刺さっていた無数の剣が、上空に浮き上がる。そのうちの一本がクー・フーリンめがけて飛来し、紅槍の先で容易く払い落とされた。
「おう、やる気ってことだな。上等だ」
後ろで細くまとめている彼の青い頭髪が、戦いを前に上機嫌に揺れる。
「逃がさねえぞ、坊主。今度こそ――この必殺の槍で、貴様の心臓をもらい受ける!」
猛々しい声が乾いた風に乗り、空間にこだまする。立香は右手の甲を掲げ、オドの流れを高める。瞬間、クランの猛犬は魔槍ゲイ・ボルクを手に持ち駆け出した。
「敵サーヴァントとの戦闘開始します! マスター、この結界内ではどこから武器が襲ってくるかわかりません! わたしの後ろから出ないでください!」
「任せたよ、マシュ!」
答えながら、立香は視線を宙へと向けた。
夕焼けにも似た色で、空が燃えている。英霊エミヤの固有結界では、面積の少ない空に歯車が回っていただろうか、と思い過ぎらせる。多少の差異はあれど、心象風景が限りなく近いということは、英霊エミヤと《彼》の関係性には何かがあるのだろう。だが、限りなく近くにある答えに、答えだと結論付けるだけの確かな証拠を立香は持ち得ず、辿り着くことは叶わない。
エミヤとの関係こそわからないが、目の前で嘆き続けるこの《彼》は――奇跡にも等しい出会いを果たした騎士王を探し求める迷い子だ、ということだけは、確かだった。
「マシュ、《彼》を解放してあげよう!」
もう一度前をまなざすその顔には、もはや同情も憐れみもなかった。
あるのはただ、そう。このまやかしから解き放ち、その苦しみから救ってあげたい、という強い願いだった。
そして願わくは、想い合う二人がどこかの空の下で再び出会うことがあるように。
「――はい、マスター!」
マシュが汚れのない眼差しで、マスターの言葉に応じる。
若き衛宮士郎の成れの果てである《彼》は、その二人を見て、まるでかつての何かを思い出すようにして、一際大きく咆哮した。