その高名さと功績、所有する財産は、等しく英霊としてのステータスである。英霊ギルガメッシュはサーヴァントの中でも最強と名高く、実際、冬木市における二度の聖杯戦争の際には、他のマスターやサーヴァントにとって彼はすさまじい脅威となったことがトリスメギストスの記録に残っている。
斯様に強力なサーヴァントではあるが、ただ悲しいかな、かつての栄光や生前の気質が災いしてか、その古代メソポタミアの英雄の振る舞いは非常に横暴であった。ある意味、王としては然るべきと言えるほどに横暴で傲慢で、そして冷酷だった。
「……それに関しては、否定の余地もありませんねえ」
血潮のごとく透き通る紅色の瞳をまたたかせ、幼い少年はマスターである少女の隣に座ってのんびりと事実を肯定した。柔らかな物言いではあったが、さらりとした金糸のような前髪のかかった眉毛は、ひどく剣呑とした角度を保っている。
「ボクだって、あの金ぴかの人が同じ自分だとは認めたくありません」
今度はいささか強めに言い捨てて、両手に持っていた大きなマグカップを傾けた。
この麗しき少年の名は、ギルガメッシュ。何を隠そうかの英雄叙事詩の主人公その人なのである。ただ、彼は“ああいう風”になる前、いわば幼き日のギルガメッシュなのだった。
「マスター。あの人はあの人、ボクはボクですから」
「うん、全然違うよね……」
愛らしい外見とは裏腹、もう一度ぴしゃりと言い捨てる姿には、さすがは王と評するべき迫力がある。マスターと呼ばれた藤丸立香は、苦笑いにも似た表情で笑った。
実は、ここカルデアにはギルガメッシュという名のサーヴァントが二人存在している。一人は、今、立香に宛がわれたこの部屋のベッドにちょこんと座る美少年のギルガメッシュ。もう一人が、先の通り傲岸不遜を体現したような、不老不死探求のために冥界へ下りる直前で色々と乗りに乗っている頃のギルガメッシュ。そして、後日もう一人、冥界から戻り、多少性格の丸くなった賢王ギルガメッシュがキャスターとして顕現するのだが――それはさておき、今いる二人のうち、目の前にいるギルガメッシュ少年は、誰に対しても親身かつ誠実で、立香にとっても対話のしやすい存在だった。
もちろん、幼いとはいえ、彼も王らしい聡明さや力を持ち合わせており、時折、生まれ持った自尊心や意志の強さなどを感じさせることはある。だがそれでも、全盛期のギルガメッシュのそれとはまったく比にならない。
マスターである立香はギルガメッシュ少年を見つめながら彼の未来像を浮かべ、はあ、と嘆息する。悩みの種は間違いなく全盛期の方のギルガメッシュである。
“あちらの”ギルガメッシュは、戦力の上で非常に頼もしい。おそらくはこのカルデアで召喚したサーヴァントの中でも最強クラスだろう。だが、いかんせん接し方が難しかった。媚びても無理、宥めすかしてもだめ、無論、マスターが高圧的に出るなどもっての外。下手を打てば、いつ契約を切られるかわからないような相手なのだ。それでも人理修復を目指す以上、その強大な力を借りないという選択肢はない。
「……本当に。ギルガメッシュがもう少しギルくんみたいに付き合いやすかったらよかったのに」
「少し複雑な気もしますが、そう言ってもらえるとボクとしては嬉しいです」
はあ、とため息を漏らす立香に、ギルガメッシュ少年はにこりと無邪気に微笑む。全盛期の自身を指して「自分の人生の中で一番の汚点」、「みんなに嫌われるようなことばかりする大人げない人」と明言している彼にとっては褒め言葉だった。
こうした彼の考え方や性格、ましてや本人がギルガメッシュ自身であるということもあって、立香はよく“あちらの”ギルガメッシュの話を彼にしていた。とは言え、本人による“本人”の真っ当な御し方についての助言めいたものは最初だけで、次第に熱が入り、最終的には本人による“本人”への不満を立香が聞くことになりがちなのだが。
「それにしてもマスター、せっかくカルデアで過ごすお休みをボクなんかと過ごしていていいんですか?」
ギルガメッシュ少年が、思いついたように小首を傾げた。
二人でベッドに並んで話しているとまるで嘘のように思えるが、現在は、まもなく人類史が焼却されてしまうという差し迫った事態なのだ。それを防ぐべく各特異点へと飛ぶ彼女が、こんな風にカルデアでゆったりと過ごすことは稀有だった。わずかしかない貴重な休息時間を占有している事実は、彼にとっては素直に喜ばしいものだ。
「うん、もちろん!」
隣で快活に答えるマスターを、ギルガメッシュ少年はまぶしいものを見るように目を細めた。
藤丸立香は、大輪の向日葵に似ている。
かつて彼がサーヴァントとして仕えたマスターは、一輪の細い白花のような折れそうな可憐さに似合わず、なかなかあくの強い性格をしていた。二人を比べるとずいぶん差があり、つい内心で笑ってしまいそうになる。
正直を言えば、どちらも女性としてはギルガメッシュ少年の好みのど真ん中ではないのだが、ともあれ、藤丸立香はすっきりとした気持ちで主従関係を築けるという点においては特化している。誰かに従うということを学ぶ機会としても、立香の性質としても、彼は現在の環境を非常に気に入っていた。
「ギルくんに愚痴を聞いてもらうと、次のレイシフト先も頑張れるからね!」
発言はあくまでも冗談交じり。対応に困ることはあれど、彼女は決して自身のサーヴァントを腐すようなことはしない。出会った英霊全員に対してきちんと敬意を抱き、まっすぐ向き合う。だからこそ――あの英雄王とも気持ちを対等に持ちたくて、自身にアドバイスを乞うてくる。
未来の自分とのコミュニケーションなどやめておけばいいものを、と腹の内では思っているのだが、それでも、ギルガメッシュ少年はその健気な姿が好きだった。
――本当のところ。“あちらの”ギルガメッシュも、そういう向こう見ず紙一重のひたむきさを持つ立香のことを気に入っているであろうことは、自分と同一の存在であるがゆえに、わかっていた。
“彼”はひどく独善的な男で、他者の状況や心境を慮ることなどはない。もし本意で立香に手を貸しているのだとすれば、それは彼女や世界のためではなく自身のために他ならない。そして、気に入らない者に与する義理や道理など、持ち合わせていない。だとすれば、“彼”もまた自分と同じように、今のマスターや環境を好ましく思っているのだ。
「愚痴でも言わないとやっていられない、ひどい人ですから」
ギルガメッシュ少年が毛嫌いする“自分”の話を進んで聞くのも、ひとえに立香のためである。
彼女は、ある日突然、人理焼却を防ぐために実に細い糸の上をぎりぎりで歩かされることとなった、魔術師としても心身ともに未熟なマスターだ。まったく右も左もわからない状態にも関わらず、未知の特異点に挑む勇気や、恐怖や不安を押し殺す自己抑制力など、彼女の心力は賞賛に値する。
そんな彼女が円滑に事を進めることができるのなら。少しでも笑顔でいられるのなら。王の深い慈悲と、マスターに仕える忠誠心をもってして、立香のためになることをしたいと、そう願っている。
だから様々な想いを堪えて、あははは、と朗らかに笑い飛ばす。――が。
「……それはそれとして。やっぱりちょっと悔しいんだよなあ」
例え幼かろうとも、どれほど謙虚であろうとも、彼は、やはり王なのだ。
目の前に自分という存在がいるのに、他の誰かの話ばかりされるのはどうしても癪に障る。それが“自分”の話であれば、なおさら。
「今、何て言ったの?」
「最近のマスターがあの人の話ばかりするので、ヤキモチを焼いているんです」
それを冗談と受け取ったのか、立香は一度目を丸くした後で、彼と同じようにあはははと笑った。
まるで子どもの戯言を微笑ましく聞く母親のような優しい瞳が、逆に、ギルガメッシュ少年の中に不満を浮かび上がらせる。
「あー、やだなあマスターってば。ボクが子どもだからって、本気で受け取ってないですね」
「わ、ごめん!」
むっとして見せると、立香は慌てて頭を下げる。それから、ご機嫌伺いのつもりか銀紙に包まれたチョコレート菓子を差し出した。
全ての財を有すると言わしめた英雄王にとっては菓子など決して魅力的なものでもないが、わざわざ子どもの身である自分を下から覗き込む仕草は好ましい。しかし、その程度のことで懐柔されるのも面白みがないと、不機嫌な表情を保ったままにする。
ややあって「ねえ、ギルくん」と明るい声がかかった。あえて返事をせずに目線だけを向けると、彼のマスターは、
「ギルくんって、怒った顔もかわいいんだね」
向日葵のように笑って、臆面もなくそう言った。
あまりにもその笑顔がまぶしかったもので、作っていたふくれっ面が思わず崩れてしまう。
「うーん……これは一本取られてしまいましたねー……」
完全に毒気を抜かれてしまったギルガメッシュ少年は、眉尻を下げる。困ったような、はにかんだような、そんな表情は一瞬だけ。すぐに、悪戯を思いついたように笑った。
立香はまだにこにこと近くで自身を覗き込んでいる。
これは、“あの人”には見せない無防備さだ――そう思ったときには、少年の小さな両手は、その顔へと伸ばされていた。とても大切なもののように引き寄せながら、自らも顔を寄せていく。
「じゃ、これはお返しです」
ささやきが立香の耳に届く頃には、幼き王の唇は額へと触れていた。その口付けは、淑女にするように優しく、姫君に落とすように恭しく、恋人に捧げるように甘い。
少しの間、何が起きたのかわからずに呆然としていた立香が我に返り、同時にぼっと顔面に火を灯らせる。
マスターのその姿を見たギルガメッシュ少年は完全に機嫌を直した様子で、満足げに体を離す。
「ボクは、かわいいだけじゃないんですよ、立香」
純真さと妖艶さという相反する二つを内包して、くすくすと笑う。その細められた紅の眼差しには、気位の高さや強引さがほのかににじみ出ている気がして――立香は、少年のたどり着く未来に、“彼”が在ることを改めて思い知らされたのだった。