1.prelude


 調査を終えた特異点Fからの帰還後すぐ、元々召喚実験場と呼ばれていたカルデアの召喚ルームに、立香とマシュ、その他二名はやってきていた。
 これから、確認されている複数の特異点へと、マスター立香を中心に挑んでいかなくてはならない。しかし、戦力も経験も不足していることは、火を見るより明らかだった。ましてや前回の特異点ではサーヴァントとの戦闘も確認されている。今後も強力なサーヴァントへの対策を怠ることはできないだろう。となれば、目には目を、サーヴァントにはサーヴァントだ。
 何しろあまり時間に余裕がない。より強く、より多くのサーヴァントとの速やかな契約のため、慌ただしくも初の英霊召喚へと赴いたわけである。
 さて、カルデアが誇る守護英霊召喚システム・フェイトでの英霊召喚に成功したのは、過去に三例。内、誉れある第一号はデータすら残っていない。第二号は生死の境にあったマシュ・キリエライトと融合し、真名を明かさぬままに消滅。第三号は、医療セクションのトップかつ、現在このカルデアを指揮しているロマニ・アーキマンとともに立香の横に立つ絶世の美女、レオナルド・ダ・ヴィンチだった。
「いやあ、懐かしいねこの部屋は! 私もここで召喚されたんだよ」
「へー、ダ・ヴィンチちゃんもここで……。なんだか宇宙みたいで綺麗だね、マシュ!」
 藤丸立香という人間は、一般公募でこのカルデアにやってきた、魔術師としての心得や知識を持たない、マスター適性があるだけ、という至極普通の少女だった。
 初めて訪れた召喚ルームを口を開けて見回し、素人そのものの感想を述べる。
「はい。わたしも詳しくは知らないのですが、ここにはすごい数の魔術回路が張り巡らされているそうですよ」
 マシュは柔らかく答えながら、立香が宇宙と喩えた星空のような空間の中央の床へ、自らの大盾を触媒として置く。次いで立香は、レオナルドにもうひとつの触媒となる虹色の石を三つ渡され、それを召喚サークルの真ん中へと促されるまま置いた。
「よし、マシュは召喚サークルの外へ。立香ちゃんはサークル中央、うん、そのままそこに立っていてくれるかい? あとはこちらで召喚システムを起動させるから、立香ちゃんは右手を水平に保って、そう、オッケー」
 レオナルドは周囲の者たち全員が認める変人ではあるが、その実、万人が認める万能の天才である。その指示は適切だ。
「こちらの準備は万端だ。……じゃあロマニ、あとは頼んだよ」
 必要な準備を済ませたレオナルドは、ロマニ・アーキマンへと完了の合図を送る。それに、「ああ、わかってる」と答えると、それまで黙って見ていた彼は立香のそばへ立ち、いつものふにゃりとした微笑みを浮かべた。
「ようし、それじゃあボクはシステムの起動にかかるために一旦退室するよ」
 そして、やや長めのまばたきを経て、その表情はとても真剣なものへと変わった。白い手袋をした手が、立香の肩に置かれる。
「立香ちゃん。召喚時には、キミがこれまで使ったことのない魔術回路に魔力が通っていく。それは、おそらく大なり小なりの痛みを伴うものだろう。深呼吸をして、そして自分をしっかり持って。カルデアスタッフがキミを全力でバックアップするし、マシュもいるからね。安心して臨んでほしい」
 英霊召喚など、本来ならば高位の魔術師が良い条件の下でしか行えない秘術や魔法に近い魔術だ。システム・フェイトがそのプロセスのほとんどを肩代わりするとはいえ、そもそも実施回数が片手に満たない事柄を、ある意味出たとこ勝負のように行おうとしているのだ。召喚そのものにももちろん、召喚に応じた英霊が話の通じない相手という危険性とて存在する。ゆえに、もしもを想定して、マシュが戦闘要員として同席している。
 安全の保証されたものではないということはさしもの立香にもわかっていた。触媒となる石――聖晶石を握る手に、知らず力がこもる。石の表面にあるトゲトゲとした突起が手のひらを刺激した。
「うーん、天才的推論を述べさせてもらえれば、だ。確かに魔術回路については、どうしてもマスターとなる立香ちゃん自身に立ち向かってもらわないといけないんだけどね。ただ、この召喚では真っ当な英霊が出てくる可能性の方が高いと思うよ」
 サークルの外から、レオナルドが予言めいたことを投げかけてくる。
「なぜかって顔だなあ。そりゃあ私が万能であり、英霊だからさ! それに、万が一の場合はこの私が戦闘に参加するから安心したまえ!」
「え?! レオナルド、キミ戦えるのかい?!」
「もちろんだとも、ロマニ! こう見えて強いんだぜ?」
 マシュと立香が、意外そうに大きく見開いたままの目を合わせて少しだけ笑う。発言の真偽は定かではなかったが、モナリザの微笑みを浮かべたレオナルドが勇気付けてくれているのだということはわかった。
 それに応えようと、奮起一番、立香は背筋を正す。深呼吸をひとつすると、掌中の石を握り直した。
「――よし、お願いします!」
 各人が、それぞれの仕事を全うするべく所定の位置に就く。
 そうして、グランドオーダー始まって初、藤丸立香がマスターとなって初の英霊召喚は執行された。



 本来ならば、魔術回路を開くことも、魔力を使うことも、その反発ゆえの激痛を伴うものである。
 だが、元々痛みに対して強いのか、覚悟がそれを上回ったのか。藤丸立香の体内を巡る痛みは、想像していたよりも比較的穏やかだった。むしろ、目下の彼女の痛覚はどちらかと言えば、今はもう触媒としての役目を終え、割れて粉々になってしまった石を握り締めていた右手に集中している。
 そして――それよりもはるかに、目の前の光景に対する驚きの方が強かった。
 フェイト・システムによってフル稼働した擬似回路を通じ、まばゆいほどの魔力の光が召喚サークルにあふれる。その煌々とした光が鎮まったとき、立香の前には先ほどまでいなかった人影があった。
「ああ、あんたらか」
 目深にかぶっていた柔らかい青のフードを無造作に後ろに下ろせば、肩から落ちる真っ青な髪が揺れる。
「……ったく、次があったらランサークラスで喚んでくれっつったろ?」
 それは、特異点Fでずいぶんと世話になりながら、ろくに礼も言えずに別れてしまったアイルランドの英雄クー・フーリンだった。
「ほらほら、ちゃんとした英霊が出てきただろう? 彼とは特異点Fで縁を結んでいるからね、その可能性の方が高かったのさ。さ、立香ちゃん」
 得意満面のレオナルドが、後ろから背中を軽く叩く。
 背押される格好となった立香は、つんのめるようにしてクー・フーリンの元へと二歩ほど進み、背の高い彼を見上げた。
「こ、こういうときは、何て言えばいいのかな……?」
 契約を交わせ、ということなのだろうが、いかんせん何をどうしていいのかがわからない。特異点では散々話をしていたはずの相手を前に、立香は少なからず緊張し、体を強張らせる。
「え、えっと……こちらは人理継続保障機関カルデアのマスター、藤丸立香。私はマシュ・キリエライトです。クー・フーリンさん、よろしくお願いします」
 敬愛する立香のピンチである。後輩を自称するマシュが戸惑いながらも、とりあえずは名を名乗るべき、という処世術の基本で助け舟を出す。
 クー・フーリンはしばらく立香とマシュの顔を見比べ、なるほど、と手を打つと、やや改まったように大きな杖を持ち直し、小さな咳払いをした。
「見知った顔とは言え、オレもちゃんと名乗っておくとするか。――アルスターのクー・フーリン。キャスタークラスで現界した。あんまり堅苦しいのは好みじゃなくてな。ま、よろしく頼むわ」
 な? と頭を優しく叩かれ、それでようやく彼女は緊張から放たれる。
「藤丸立香です。クー・フーリン、改めてよろしく!」
 にっこりと微笑み、右手を出して握手を求める。
 偉大なる英霊への第一声とは思えないほどの、ひどく気さくな挨拶である。マシュはある種の豪胆さに驚いて目を丸くし、召喚ルームへ駆けつけてきたロマニは、「あちゃー」と言わんばかりに額を押さえた。
 ただ、無知な素人ゆえの飾らなさは、気のいい男のお眼鏡に適ったようだ。クー・フーリンは吊り上がり気味の目を楽しげに細め、立香の少し傷のついたその手を柔らかく握り返した。
 魔術回路を無理やり開いた反動か、マシュ以外の英霊と初めて契約を交わしたためか、契約して気が緩んだのか。突如、立香の体にひどい倦怠感が押し寄せる。
 最後に安堵したように青白い顔で微笑んで、少女はその力強い手を握ったまま、すうっと意識を失っていった。

(2017/03/14)


2.overture


 初召喚を経験した次の日の朝。昏倒から目が覚めた藤丸立香は、まだ早い時間にも関わらず、マシュ・キリエライトに付き添われながら、気だるさの残る体を奮い立たせてカルデアの通路を歩いていた。
 非常灯の下、暗く、無人の廊下をひた進む二人の、その目的地は召喚ルームだ。
 魔術のなんたるかすら知らぬ立香の初めての英霊召喚は、予想以上の結果だと評して間違いはないのだろう。一般人が正式な手順も踏まずに特異点へレイシフトし、無事に帰ってきただけでも御の字と言える。それに加え、帰還早々に前例の少なすぎる召喚に挑み、一騎のサーヴァントとの契約に成功したのだ。周囲は、彼女の精神力と行動力を高く評価した。
 しかし、それはあくまでも周囲の話である。
 立香本人は、昨晩、ただ一度の召喚だけで倒れてしまったという結果に、歯がゆさや焦りすら覚えていた。
 そして、マシュもそれを感じ取り、理解していたのだろう。憂いの強い複雑な面持ちを浮かべ、言葉なく立香の横顔を見つめた。
 昨日――二人が特異点からカルデアへ戻ることに成功した喜びは、ほんの一瞬。安堵したのも束の間、彼女らが帰還して目の当たりにしたものは、レフ・ライノールによって爆破された中央管制室の惨状に他ならない。
 管制室は瓦礫だらけで、あちこちにおびただしい量の血液が散見できた。その出処は、レイシフトの準備を終えたマスター候補者が入っていたコフィンだ。彼らを包み込んだままのコフィンは、まるで墓標のように地面へと突き刺さっていた。彼らは全員、今は亡きオルガマリー・アニムスフィア所長の命令によりコフィン内で凍結保存がなされているが、その大半が危篤状態だという。
 管制室中央にある地球を観測するカルデアスは赤く燃え、無事に生き残ったわずかばかりのカルデア職員も、無傷の者などおよそ存在しない。にも関わらず、その全員が必死で未来のために働き続け、二人の帰還を近くの人間と抱き合いながら喜んでいた。
 それを見たからこそ立香は、初めての召喚に。初めての魔術に。ひとかけらの怯えすらも見せず、二つ返事で全て了承したのだ。
 おそらく一番非力なはずの自分が助かってしまったという後ろめたさもあった。生きてほしいと願ったマシュが生きていて、自分を守ろうと震えた足で戦い続けてくれたことへの誇らしさもあった。激烈な人の生死を間近にして、生きたいと願った。生きるために、生かすために戦いたいと、そんな望みを胸に抱いた。
 そのために、人類最後のマスターという肩書きを全力で負う覚悟を決めた。
 ならば、多ければ多いほどいい。強ければ強いほどいい。経験を積んで、戦う術を、生き抜く知恵を、未来を取り戻すための力を、藤丸立香は必ず手にしなくてはならない。未熟な自分を、この限られた時間の中で可及的速やかに成長させ、戦わねばならない。
 ――だと、いうのに。昨日の結果は、その気持ちとは異なるものだった。
 だから、不本意に終わってしまった召喚の儀を再び行いたいと、マイルームで目覚めてすぐに通信で申し入れた。
「え……もう一度英霊召喚を? 立香ちゃん、それは、うーん……」
 現在カルデアを指揮するロマニ・アーキマンは、立香の申し出を聞いて明るい声を出さなかった。
 簡単に了承できるはずなどない。医療部門のトップであるロマニは、彼女が気を失ってから長い時間、そのメディカルチェックを続けていたのだ。今どんな状態にあるかは、彼が一番よくわかっていた。
 突然の爆発事故、無理なレイシフト、特異点での戦闘、何も知らない心身に激流のごとく送り込まれる情報、知識、経験――この短時間で、心身ともにダメージが蓄積されすぎている。中でも藤丸立香の肉体に一番負荷をかけているのは、サーヴァントに取られている魔力だろう。
 契約を交わしたサーヴァントをこの世に現界させて留めておくための魔力は、マスターが提供する。
 これまでは契約者がマシュ一人であったこともあって、魔力の供給はそう辛いものではなかったはずだ。だが、昨日になって、もう一人サーヴァントが増えた。簡単に考えてその負荷は二倍、英霊の格を加味するならば三倍ほどと考えて然るべきだろう。
 本来ならば、カルデアの電力をサーヴァントの現界に回してマスターを補助することができる。だが、何しろ火急の事態だ。爆破事故に見舞われた直後のカルデアは、目下のところ予備電源での稼動を余儀なくされており、その電源も、カルデアス、シバ、ラプラスの継続稼動、トリスメギストスのデータ維持、コフィンの凍結保存、プロメテウスの火の保持、必要備蓄の保存など、最重要と思われる箇所に割いている。もちろん、英霊召喚そのものにも魔力に変換した電力が必要だ。立香に魔力を回してやれる余裕などないのが、正直なところだった。
 人理修復へ向けた彼女の決意や覚悟は痛いほどよくわかる。そして、現在のカルデアがどれほど戦力不足か、世界がどれほど緊迫しているのか、それもまたよくわかっている。わかっているが、しかし、今彼女に倒れられては、それこそお終いなのだ。
「お願いします、ドクター!」
 言葉をなくしてしまったロマニの様子を見かねて、立香が直談判をするべく管制室へ乗り込み、開口一番申し立てる。
「先輩……! 無理は禁物です!」
 すぐにマシュが、まだ顔の青い立香へ駆け寄り、支える。それを見たロマニは改めて彼女の身体を第一に考え、首を横に振った。
「正直に話せば、電源が落ちてる現状では、そう何度も召喚を行うのは難しい。何より――ドクターとして。今のキミに無理をさせるわけにはいかない」
「――いいじゃないかロマニ。もうすぐ主電源が復旧しそうだ。そうなれば召喚のための電力供給も、サーヴァントへの魔力供給も安定するし、やらせてあげれば?」
 毅然と言う後ろから、あまり緊張感のない声で会話に参加したのはレオナルド・ダ・ヴィンチ。
「そうは言ってもなあ……。大体、主電源に切り替わったところで、今の立香ちゃんの体調が治るわけじゃないんだぞ? 予備電源からの復旧は、あくまでも回復のための条件であって」
「まあまあ。けど、このまま立香ちゃんを無理やりマイルームへ連れ帰ってベッドに縛り付けたところで、いい休息は得られないさ。それならいっそ気が済むように、一度だけでも英霊召喚を許してあげる方がメンタルヘルスとしては理想的だろう?」
 レオナルドの意見は立香の意志を尊重したもので、決して間違いではない。言葉通り、メンタルヘルスの観点で言えば、その方が彼女のためにもなる。だが、あくまでも立香の体調を優先したいロマニとしては、首を縦に振ることに戸惑いがあった。
 時折、立香の顔をちらちらと見ながらしばらくレオナルドと視線を交わし――少しして、はあ、という大きなため息とともにうなだれた。
「……わかったよ。ただし、成功しても失敗しても、今日は一回きりにして体を休めること。いいね?」
 ぱっと立香の表情が華やぎ、つられるように隣のマシュにも微笑みが浮かぶ。
「ドクター、ダ・ヴィンチちゃん、ありがとう! サポートよろしくお願いします!」
 血の気のない顔に、みるみる生気が宿る。立香はドクターとレオナルドへの礼を何度か言うと、マシュの手を取り、待ちきれないとばかりに通路へ出て行った。
 あれだけ反対をしてはいたものの、二人の後ろ姿を見守るロマニは幾分満足げだった。



 少し離れた場所にある召喚ルームまでの道のりが、やけに遠い。
 嬉々として管制室を後にした立香だったが、体調が戻ったわけではない。喩えて言うのならば、心身の八割方をぱっくりと食べられてしまったかのような喪失感と、慢性的な貧血に襲われている状態が続いている。
 おそらく、こんな焦眉の急でもなければ、ベッドから下りることすらしなかっただろう。今の彼女は、芽生えた責任感で無理やり動く人形に近かった。
「先輩、大丈夫ですか? ……あっ」
 体を支えながら歩いていたマシュが、気遣って横を見る。ふと、その体重が軽くなったことに驚いて、声がこぼれた。立香本人は何のことかわからず、マシュの方へ顔を向けようとして――同じように「あっ」とつぶやく。
 その視線の先、非常灯の心もとない明かりではなく、白い電灯が奥の方から順に点灯していく。
「電源が……戻った?」
「――みてえだなあ」
 不意に口を突いて出た言葉に返答した声は、マシュの優しいそれではなく、野太い男のものだった。
 急なことに驚いて言葉を失っていると、立香のすぐ前方の空間が蜃気楼のように揺らぐ。それは少しずつ形を持ち始め、徐々に色づいていき、最後には人の体となった。
「マスター、お嬢ちゃん、おはようさん。具合はどうだ?」
 柔らかな青を基調とした衣服に身を包んで、背の高い男が姿を現す。召喚時と同じく、被っているフードを後ろに落とすと、蒼い髪と赤い瞳が露わになった。
「クー・フーリンさん、おはようございます」
「お、おはよう……?」
 かろうじて挨拶を返してきたものの、自身のマスターはまだぽかんとしている。クー・フーリンは、ああ、と納得した声を出すと、手に持った杖で立香の額を軽く小突いた。
「いいか、マスター。お嬢ちゃんみたいなデミ・サーヴァントはともかく、オレらは魔力を節約したり人目を避けるために、基本はマスターによって霊体化や実体化の切り替えが可能だ。ついさっきまでは魔力が足りなかったから自主的に霊体となっていただけでな」
 幽霊を見たような――実際のところ、ほぼ間違いではないのだが――顔をしていた立香が、額を押さえながらなるほどとうなずく。
「基本的にはこのカルデアじゃあ、ずっと実体化してたってアンタの魔力を食いつぶすことはないみたいだけどな」
 今は電源が復旧して、実体化しても問題ないだけの魔力が流れ込んできている、と付け加えた。言われてみれば、立香自身の体調も、ずいぶんと楽になっている。
 立香はずっと支えていてくれたマシュに礼を告げて自立する。マシュは心配そうにしていたが、足元がしっかりしたことを確認してから少し離れた。代わりにクー・フーリンが近付いてきて、ひょい、と立香の体を軽々と肩に担ぎ上げる。
「ええっ?! ちょっ、なんで?!」
「なんでって、召喚ルームに行くんだろ? オレも付き合うことになっててよ。それならついでにいっちょ運んでやろうかと。まだ顔色も大して回復してねえしな」
「じっ……自分で歩けるから、大丈夫! 大丈夫だから!」
 狼狽しながらも、さすがは年頃の少女。立香は慌てて短いスカートを押さえる。それを、クー・フーリンは豪快に笑い飛ばして、
「んな隠さなくても、その黒いタイツじゃ中は見えねえから安心しろって。昨日のうちに確認済みだ」
――と、立香にとって看過できない発言をしたのだった。



 召喚ルームに辿り着いたとき、クー・フーリンは肩に立香を抱えたままだったが、その青い頭髪はいささか、いや、存外乱れていた。「その分だと、そこそこ元気出たみてえじゃねえか」などと余裕を見せてはいるが、自身のマスターが結構なお転婆であることは身をもって理解したようだった。
 担がれ方はともかく両足から優しく下ろされた立香はと言えば、興奮した猫のように肩を怒らせ、クー・フーリンを威嚇している。
「ま、まあ先輩……クー・フーリンさんは、昨日も部屋まで運んでくださったわけですし……」
「そうだぜ、オレはあくまでマスターへの忠誠として御身を運んだってわけだ。まあなんだ、ガキかと思いきやなかなか触り心地のよかったケツに関しては役得だと思って――ええおおおおおい?! その右手は何だろうなあ?!」
「先輩、お気持ちはわかりますが、令呪はちょっと……!」
 マシュとの契約後にレクチャーを受けているため、右手に刻まれた令呪が、サーヴァントに対して絶対の命令を行使する権利であることや、回数に制限があることなどは理解している。念を送り、令呪を赤く光らせたところで、ゆっくりと右手を下げた。もちろん令呪の無駄遣いをするつもりはなかったのだが、まだ本調子にほど遠い体調では、多少の魔力行使にすらわずかな消耗を覚えるというのが本当のところだった。
 そんなわけで、立香は疲労から。マシュは安堵から。クー・フーリンは令呪から逃れたことで。三者三様、大きく息を吐き出した。
「まあ……ありがとう。昨日も、今日も」
 呼吸が整うと、立香がぽつりと言った。クー・フーリンは一瞬面食らってから、「おう」と笑う。なんとなく気に入らないけど、という言葉は完全に無視を決め込むようだ。
 そうしてちょうど一段落がついたところで高い電子音が聞こえ、通信が入る。
「立香ちゃん、マシュ、今日はクー・フーリンに同席をお願いしたんだけど、彼は……あ、そう? もう合流できたんだね、よかった。じゃあ、ボクももうすぐそっちに着くから、わかる範囲で準備を始めてくれるかな?」
 ロマニとの通信を切るが早いか、マシュが戦闘服へと変化し、宝具である大盾を軽々と中央へ運ぶ。
「ではマスター、準備に入ります!」
「そんじゃオレは……そうだな、あの辺りにでもいとくか。オレは何かあったときに出りゃあいいだけだからな」
 意気揚々としているマシュとは対照的に、大あくびをしながらクー・フーリンは立香たちの後方へ向かった。魔術回路が張り巡らされた宇宙めいた召喚ルームの壁に寄りかかり、腕を組み、退屈そうにしている。あれはむしろ、ややこしい英霊の一騎や二騎が出てくればいいとでも思っている顔だと、立香は直感する。
 だが、嫌な気持ちはしない。
 あの炎上する特異点で、どれほどこの英霊に助けられただろうか。ただ目的が一緒だ、立香やマシュの心意気が気に入った、などというだけの理由で、クー・フーリンは未熟すぎる魔術師と、そのサーヴァントを、戦闘面でも精神面でもサポートしてくれた。
 有事以外は肩の力を抜いている風に見せているが、ここ一番ではとてつもなく頼りになる。
――だいじょうぶ、だいじょうぶ。みんながいる。こわくない。だいじょうぶ。
 立香は不安を呑み込むように、人知れず、すう、と息を吸い込んだ。
 レオナルド・ダ・ヴィンチは、昨日の召喚のときに「この召喚では真っ当な英霊が出てくる可能性の方が高い」と言った。逆に言えば、今回の英霊召喚では何が飛び出てくるかがわからない、ということだ。
 立香自身に覚悟があろうとも、決意を固めようとも――未熟であることの不安を覆すことはできない。
 未熟ゆえの失敗を、自分だけの犠牲で拭えるのなら、まだいい。しかし藤丸立香の肩には、人類史の存亡という、一人の少女が背負うには重すぎるものが乗っている。
 一度の失敗が引き起こす結末のイメージは、いくら振り払おうとも脳裏に焼きついて離れない。
「立香」
 不意に、優しさをもった低い声がかかる。
「怪物だろうが何だろうが好きなもん喚び出しな。どんなモンが出てこようとオレとお嬢ちゃんがカタつけてやるから、肩の力抜いて気楽にやりゃあいい」
 あーそれと、と付け加えながら、クー・フーリンの瞳は途端に何もかもを見透かしたような眼差しへと変わる。
「お前さんは失敗なんざしねえ。これはドルイドの預言だ」
 それが、一体どれほどの勇気をくれたのか。
「大丈夫だ、しっかりやんな」
 心の中で一人で唱えていたよりもはるかに心強いその言葉を噛み締めると、鼻の頭がツンとして熱を持った。
「先輩、召喚準備完了です」
 マシュの報告を聞いて、立香は聖晶石を握る手を胸に置き、一度まぶたを伏せる。ややあってから開いた琥珀色の瞳は凛々しく、力に満ちていた。
 未熟な自分を慕ってくれる後輩にうなずいて見せ、次に、未熟な自分の背を押してくれた大先輩にうなずいて見せる。
「うん、大丈夫。――やろう!」
 まだ半人前の魔術師は、だがしかし確かな決意とともに、召喚サークルへ向けて一歩踏み出した。

Symphony No.xxx :2017/11/25
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