火急の事案のない時期、つまるところアコライツの絡む事件が一旦収束を迎えているときのリベレイターズというのは思いの外ゆったりとしているものだ。
 女性ルーキーが加入してからはちょうどアコライツの動きが活発になり、事件も目まぐるしく起きていたが、ホムンクルスを使った無差別爆破テロ事件後は鳴りを潜めている。今は共感指数の高い個人を狙う雑魚を相手にする以外は、案外と平穏に日が過ぎていた。
 そうしてふと訪れた平和な時間を、突如として鬼気迫る悲鳴が引き裂いた。
「うわあああああああああああっ!」
 現場は秋葉原某所、リベレイターズ東京支部のアジト内。シェアルームにある共有スペースだった。
「今のはソン・シャンの声か?! 何があった!」
 頼れる支部長のメガキンがいの一番に駆けつける。続いて、ツァイ・ジュンユン、高殿栞、龍造寺梨花、上田リリンの順で、個人のスペースから続いて出てくる。
 アコライツの襲撃の可能性も念頭に置き、アプリを起動したスマートフォンを手に持って臨戦態勢の全員が共有スペースに入るが――その入り口で、真っ先に踏み込んだはずのメガキンが、いささか立ち往生にも近い状態で立ち止まった。
「ヘイ、お二人さん……ええと、なに……してんだ……?」
 一応は日頃のノリを装っているものの、当惑しているのが完全に隠し切れていない。後にリリンは語る。あんなに戸惑ったメガキンは見たことがなかったと。
 だが、その感情や疑問は満場一致である。彼らの視線の先には――
「ちょ、あの、これ、誤解なんで……!」
「誤解を受けても何でもいいから、とにかく脱いでったら!」
「君はまず人目を気にしようか?!」
「わかった、じゃあ人のいないところに行こう!!」
「にゃっ……な、何を無茶苦茶な……うわ、変なとこ触っ……メガキン助けて……!」
 破竹の勢いで武勲を立てていく期待のルーキーが、上海人留学生のソン・シャンをソファに押し倒し、今にも服を脱がそうとしている姿があった。



 しおにゃんこと高殿栞の「――ステイ」の一言によって平静を取り戻したルーキーは、つい今しがたまでシャンに馬乗りになっていたソファの上で、借りてきた猫のように大人しく正座をしていた。
「で、ご乱心の理由は何だったんだ」
 経緯としては、ルーキーがシェアハウスに帰ってきた際、たまたま共有スペースにいたシャンはただ「おかえりなさい」と声をかけただけだった。すると彼女は突然、理由も話さずに「脱いでほしい」と言い出した。懇願と拒否のやりとりを繰り返した後、あの奇行に出たのだと言う。
「OH……そいつはなかなかクレイジーだな……」
「ううっ……ごめん、今は落ち着いたし、反省もしてます……」
「何か理由があるんですよね?」
 見るからに反省している様子の彼女に、シャンが服を丁寧に直しながら問いかける。
「実はね……」
 今回入ったルーキーは、某芸術大学の彫刻科に通う芸大生だった。
 授業ごとに積み重なっていく課題で息詰まった折に偶然メガキンの動画を観て、息抜きのつもりで紹介されていたアプリをダウンロードした。それが、リベレイターズに入るきっかけとなったのだが、あれよあれよという間に事件は起こり、悪魔を使って戦うこととなり、解決したかと思えばシェアハウスに越すこととなり、息つく間もなく次の事件が発生。結果的に自分の時間はリベレイターズの活動にスライドさせることとなり、なおかつ大学の出席状況も一時的とはいえ悪化。ようやく久しぶりにまともに通学ができたかと思ったら、課題が溜まり溜まっていた、というわけだった。
「まあ山積する課題だけならよかった、いや本当はよくないんだけど、そこに今度制作発表展が加わるらしくて、わりとそれが迫っているっていうか……ああ、あああ……」
 説明しながら頭を抱え出す。よほど切羽詰まっているというのは、誰の目にも明らかだった。
「あー……確かに気の毒ですけど……俺の服を脱がそうとしたこととそれって何か関係が?」
「ある!」
 即答だ。尋ねたシャンが思わずメガキンの後ろに隠れる程度には迫力をみなぎらせている。
 彼女の現在の主な履修科目は、塑造と呼ばれるものだ。木材や石材をツールで彫っていく彫刻とは異なり、粘土で造形していくのが塑造、完成した彫刻を塑像と言う。
「つまり、俺にそのモデルになれ……と?」
「そう! 制作発表の話を聞いたとき、モチーフは絶対にあなたがいいって思ったの」
 インスピレーションってやつ、と、無邪気な笑顔を浮かべて付け加える。
「……考えておきますから、時間をください」
 彼女の言葉と表情に負かされた形で――だが、そう簡単に了承するのも癪で、シャンは眼鏡をかけ直しながら口をとがらせた。



 女性の部屋に入るのは想像以上に勇気が必要だと、シャンはこの日初めて知った。
「お邪魔しま――うわ、結構散らかってますね……」
「言い訳みたいになるけど、越してきて間もないのとあんまり片付ける暇がなくって」
 ごまかすように笑いながら、どうぞ、と彼女がベッドへ案内する。
 そうは言いながらも、散らかっているのは課題絡みと思われるものばかりで、生活感のあるものは基本的には整頓されているようだった。
「もう、そんなにじろじろ見られると困る」
「あ、ああ……そうですよね」
 女の子のベッドに座っている、と行為があまりにも落ち着かずに視線を部屋のあちこちに彷徨わせていると、冗談混じりにたしなめられてしまう。
 あの痴女未遂事件から二日。色々あってシャンは結局モデルを引き受けることになった。
 あれだけなりふり構わぬほどに差し迫った様子を目の当たりにしたのもある。彼女からプライベートの時間を削らせてしまったと少し責任を感じるメガキンの姿を見たのもある。何よりも――
 絶対にあなたがいいと思ったの。
 あれほど計算も屈託もなく言われてしまって、心が動かないはずはなかった。
 早い方がいいだろうと、翌日には決意を固めて申し出をし、そして今日。正直まだ戸惑いはあるものの、男に二言はない。
「それじゃ、早速で悪いけど……脱いでもらってもいいかな?」
 ついに来てしまった。しかしここで動揺を見せるわけにもいかない。
「わかりました。……上だけですよね?」
「や、やだなあシャンったら! 胸像の予定だから、上だけで!」
 デジカメとクロッキー帳と鉛筆とを用意した彼女が、その言葉に慌てて声を上ずらせた。おや、と少し気分を良くしながら、シャンはインディゴカラーの半袖パーカーから袖を抜く。
「そういえば、写真も撮るんですか?」
「あ、うん、基本的には一度感覚を掴むためにデッサンさせてもらって、それとは別でそれぞれの角度から撮らせてもらう予定なんだけど……やっぱり嫌?」
 おずおずと確認する彼女は、気圧される勢いで脱がしにかかってきたあのときとはまるで別人だ。
「ここまで来たら嫌も何もないです」
「ホント? よかった……。ありがとう、本当に助かります」
 ほっと胸を撫で下ろし、彼女は微笑んだ。
 思えば、初対面で腕試しと称して戦いを吹っかけたときも、彼女は嫌な顔をしなかった。それは自分だけでなくジュンユンや高殿栞のときでも同様で、「うん、いいよ」とさらりと笑って応じていた。アコライツ絡みの事件だとメガキンが言えばすぐに腰を上げ、梨花の通う九段下女子学園の事件では誰よりも憤り、自分が賞金首になろうとも怖気づくこともなく戦いに臨んでいく。
 元々、他人を重んじて自分を疎かにしがちなタイプなのだろう。だからこそ、先日の奇行には驚かされたわけだが。
 シャンはパーカーの次に黒いインナーへと手をかける。クロスした両手で裾を持つ。最後に浅く息を吐いてから、一気に脱ぎ捨てた。
「さすがサーフィンやってるだけあって、綺麗な身体をしてるね」
 さらけ出した上半身を前にして、彼女は落ち着いている。
 芸術のためと割り切っているのか、自身の肉体に魅力がないのか、それとも男の裸体を見慣れているのだろうか。後ろ二つの可能性はあまり考えたくなかった。
「ジュンユンに比べたら細いですよ」
 そういえば、モデルを頼むのならばダントツでジュンユンの方が適任だったはずだ。なぜ彼女は自分に頼んできたのだろう。
「そうだ、ジュンユンに頼めばよかったんじゃないですか?」
「うーん、ジュンユンの場合は鍛えられすぎてるっていうか……なんかちょっと違うかな」
 既に鉛筆を持つ彼女の手は動き始めている。もしかすると、こうして真剣な表情を真正面から見たのは初めてかもしれない。描くためにクロッキー帳に落とされている視線が不意に自分に向けられる度、シャンの胸を激しく高鳴らせた。
「とにかく私はシャンがよかったから」
「……どうしてです?」
「んー、なんでだろうね。シャン以外の選択肢が浮かばなかった」
 瞬間、真剣な顔はほころぶように和らいだ。
 そこに生まれた感情が、愛おしい、というものだったことに気づいて、シャンは思わず目を逸らす。
 脈が上がる。体が火照って耳まで熱い。喉がやけに渇いて、晒した肌に汗がにじむ。
「ねえ、シャン。もうひとつだけ……ワガママ、聞いてもらえないかな?」
 手を止めた彼女が、いつの間にか目の前に立っている。少し近づかれただけだというのに、鼓動がうるさくなった。
 演算速度が足りていない。自分の脳が感情を処理しきれていない。
 このままだと――
「……触っても……いい?」
 ――このままだと、自分の中の何かがクラッシュしてしまいそうだ。



「……っ」
 両鎖骨の内側から外側へと、親指の腹で少し肌を押しながらなぞっていく。
 シャン自身に経験はなかったが、例えて言うのなら女性がエステで受けるマッサージがこういうものじゃないだろうか、と頭の遠いところで考える。そうでもして別のことを考えていなければ、くすぐったさ以上の別の感情で、脳を一気にかき乱されてしまいそうになる。
 塑造というのは、粘土の表面を指で丁寧に滑らかにしていくらしい。その感覚を指で直接試させてほしい、というのが、彼女のワガママだった。
 とうに自分の頭がおかしくなっていたのだろう。格好つけていたい気持ちもあった。頼みを聞いてよく思われたい気持ちもあった。そして――触ってほしい、という、よこしまな思いすらもあった。
「はぁ、ッ……」
 何度も指先が肌を滑っていく感覚に、思わず息が漏れる。かろうじて声だけは殺したが、限界が迫っている。
「くすぐったい? それとも痛い? 嫌だったら言ってね、すぐやめるから」
「……大丈夫です。続けて、ください」
 限界が近いというのに、続きに応じてしまった。もはやその言葉が相手のためなのか、自分のためなのかもそろそろわからなくなっている。
 彼女が造るのは、胸像だ。
 塑造の際のイメージを高めるためには、胸より上を念入りに触る必要性があった。
 撫でるというよりもこする指の腹は、徐々に摩擦で熱を帯びてきていた。それがはっきりと感じ取れるほど、シャンの肌は敏感になっている。ましてや、気恥ずかしさを耐えるために眼鏡の下の目をつぶっているのならなおのこと、否応なく感覚は研ぎ澄まされていく。
「ここまで助けてもらったら、お礼にご飯くらいご馳走しないとね。あと何か好きなものでもプレゼントするよ。あまり高いものは無理だけど」
 ベッドの上に二人向かい合って座っている格好で、彼女は身を寄せて自身の肌に触れている。自ずと話し声は間近にあるのだが、それが、エコーがかかったようになって鼓膜を揺らす。
「背中、回ってもいい?」
 半ばのぼせたような頭でうなずくと、彼女は背後に回った。
 両手は左右対称の動きをしながら、髪の生え際の下から首筋をなぞって背骨へ。背骨から肩甲骨の“裾”を二度周回して、また脊椎を下がっていく。
「ふ……ァ、あッ」
「あ――」
 指が腰に触れたとき、思いも寄らぬ刺激に全身が縦に震え、ついに声がこぼれてしまった。自分でもそうとわかるほどにじんだ快楽の色は、おそらく彼女にも悟られてしまっただろう。
 一度堰を切ってしまえば、一度意識をしてしまえば、もうその奔流を止めることなどできない。
「っ、さすがに、これ以上は、」
 彼女を性の対象として見てしまう前に部屋を出ようと、立ち上がりかけた我が身は――他でもない彼女に、ズボンの裾を引っ張られて止められた。
「……今……なんか、全部わかった、かも」
「え?」
 裾を引かれて、すとん、と腰をベッドに下ろす。
「講義で男性モデルを何人か見てきたし、その裸体も見たことあるし、ちょっとは慣れてると思ってたんだけど」
 後ろから、心臓の位置に手のひらが置かれたのがわかる。
「モデルにしたいって思ったり……触れたい、と、思ったのは、あなたが初めてで。すごく不謹慎なんだけど、今、こうしていることを喜んでくれてるのかと思ったら……少し嬉しかった」
 柔らかな手のひらに確かめられている鼓動が、これ以上ないほど速まっていく。
「だから私、シャンのこと、好き、なんだなって……」
 静かに、ほのかな戸惑いを乗せて紡がれた言葉は、シャンの胸へ間違いなく届いて、様々な感情を一気に高ぶらせた。
「……今、そういうこと言います?」
 深いため息をつきながらゆっくりと振り返り、瞬間、天を仰いだ。
 ――ああ、だめだ、かわいい、触れたい。
 振り返った先に見えた彼女の赤く染まった顔が、完全に理性を剥ぎ取っていってしまった。
「俺、もう、心も体もオーバーフローしてて」
 眼鏡を外して、少し離れた場所に半ば投げるようにして置く。続いて、ハーフパンツに手をかける。身にまとうすべてが煩わしい。
「責任、取って、くれますよね」
 熱暴走みたいに猛った肉体を冷却する手段は、眼前の愛しい彼女に解き放ってもらう以外にはない。
 シャンの搾りカスみたいな理性が最後に考えたのは、追い詰められたとき、人はこれほどまで冷静さを失うのだな、ということだった。

Blue screen :2018/02/23
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