西洋情人節/ツァイ・ジュンユン


西洋情人節ピンヤンチンレンジェって知ってます?」
 シェアハウスの大きなソファで雑誌を読んでいると、頭上から声が降ってきた。
「ぴん……ぴん、やん……何って?」
 座ったまま仰のく。そこには、ジュンユンが人好きのする笑顔で私を覗き込んでいた。今日も今日とて無駄に顔がいい。
「西洋情人節――中国語でバレンタインデーのことです」
「へえ、そうなんだ。……もしかして、遠回しに催促してたりする?」
 わざと、じと、と目を細めてみるも、彼は笑顔を崩さずに「まさか」と笑い飛ばした。
「私たちの国では、男が女性に贈り物をする日ですから」
「ええっ、そうなの?」
 そういえば、海外ではバレンタイン当日に贈り物をするのは男性からと聞いたことがある。あるけど、まさかお隣の国までもがそうだとは思わなかった。
「特に台湾の男は女性をとても大事にします。エスコートは当たり前ですよ」
「へえ、いいなあ。私もバレンタインデーだけ日本人やめたい……自分にだけご褒美チョコをあげていたい……」
 本命チョコ、義理チョコ、友チョコと、年々あげる数が増えていって、この時期はお財布をチョコレート代が圧迫してる。――あ、いや、本命チョコなんてここ数年は買ってないです、見栄張ってごめんなさい。
「では、誰にもあげる予定はないんですね?」
「うん、まあ……そうだね、友達用くらいは買うけど……」
 残念ながら、今年も本命チョコなんて買う予定はない。友達と、それから、このリベレイターズの女子とそれぞれチョコを持ち寄って、みんなでわいわい食べられたらと計画している。
 だけど、男性陣にはそれは当日まで内緒のお楽しみなので、言葉を濁しておいた。
「ああ、それはとてもよかった」
 それを、ジュンユンはどう思ったのか。いつも以上の甘い笑顔を浮かべ、黒いオープンフィンガーグローブを嵌めた手を私の頬に添えた。
「……え?」
 むき出しの指が頬に触れる。その場所から、かあ、と熱が広がるのがわかった。戸惑っている私をよそに、精悍な顔がゆっくりと近づいてくる。
「当日は、私からの贈り物を受け取ってもらえます?」
 覗き込む瞳は、もう目の前。ライトブラウンのそれは、優しさと同時に野獣じみた強さもたたえていて――私は、肉食獣に見つめられた小動物のように、微動だにせずに見つめ返すことしかできなかった。



あまいのろい/メガキン


 突然ですが、本日はバレンタインデーです。そして、このアジトの長は大人気メガチューバー。シェアハウスにはさぞかし大きなギフトの山ができているはず。きっとおいしいチョコもいっぱいあるはず!
 そう思いながら入ってみると、案外すっからかんだった。
「えーっ! メガキンあんなに人気あるのに、ひとつもチョコ届いてないの?!」
 犬も歩けば棒に当たるし、メガキンが歩けばファンに当たる。人の多いところを闊歩すれば、すぐにスマホで写真を撮られるような人気者のメガキンにチョコレートがひとつも届いていない、という事実を聞き、私は素っ頓狂な声を上げた。
「そりゃあここはアジトだからな。そうイージーに嗅ぎ付けられちゃ困るぜ」
 驚く私とは正反対でメガキンはクールだ。鼻歌交じりに撮影機材の手入れをしながら、何でもないことのように言う。
「ええ……そうなんだ……でもそっか、そりゃそうだ……」
 確かに一般ユーザーにアジトの住所があっさりバレてしまうようでは、アコライツからだって簡単に襲撃されてしまう。
「なんだ、俺に届くチョコ狙ってたのか?」
「うん、実はね。……でも、事情が事情とは言え、もらえないのはちょっと寂しいね」
 セキュリティ対策としては当然のことだけど、あれだけ動画に熱意を注ぐメガキンにとって、その成果とも言えるファンからの想いが素直にもらえないというのは、なんだか少し気の毒だ。
「あー……」
 メガキンが答えに困っている。
 うんうんわかる、複雑なんだろうなあ。でもそれをリベレイターズの東京支部長として言葉にはしないようにしているんだろう。素敵な心構えだ。私も彼のことを想うのなら、余計なことは言うべきじゃない。
「ごめんね、私てっきりたくさんもらうと思ってたものだから、逆に迷惑になるかと思ってチョコレートを用意しなかったの……あっ、そういえば帰りにコンビニでニャンチョコ買ってきたから、一緒に食べよ!」
 手に提げていたコンビニ袋の存在をすっかり忘れていた。飲み物とか色々買ってきたんだけど、その中にはニャンチョコもちゃっかりラインナップしている。こんなものでも、ないよりはきっといい。
「なあルーキー、もしかして俺のことカワイソウに思ってたりする?」
 いそいそとニャンチョコのパッケージを開け始めた私をじっと見つめて、メガキンが真面目な顔で訊いてくる。
「え、いや……そんなことは、ない、けど」
「思ってるんだな」
「ちょ、ちょっとだけ! ほんのちょっとだけね! でも、自分の熱くなれるものを持っていながらリベレイターズのために生きるメガキンはカッコイイと思う!」
 なんだか変なことを口走ってしまった。これ以上妙なことを言わないように、照れ隠しもかねてニャンチョコを口にくわえる。
「……そっか、ま、ご褒美でももらっとくか」
 少しだけ間を置いて、メガキンがこちらに近づいてくる。コクコクとうなずきながらニャンチョコをパッケージごと差し出して――それを無視した彼は、私に顔を寄せて、
「いただきます」
 丁寧な挨拶とともに、私の口元にあるニャンチョコを、奪っていった。
「は……?」
 ――いま、私の唇に、何か熱いものが当たった、ような。
「サンキュー、うまかったぜ」
 ついでとばかりにパッケージからいくつかチョコを取って、そのまま元の場所に戻っていく。
「あ、そうそう。俺宛のチョコなら、たぶん明後日くらいにはダミーの住所からここに転送されてくるから、好きなだけ食べるといい」
「は……?!」
 ただし手作り系はやめておけよ、なんて言葉を残していく。その後ろ姿を見ているうちに、憤りとそれ以上のよくわからない感情で胸がぐちゃぐちゃになる。
「メ……メガキンの、バカーーーッ!」
 思わず叫ぶと、人気配信者はこちらを向いてウインクを飛ばした。もう一度叫びたくなったけど、想像以上に動揺しているらしい私の喉からは声がうまく出なかった。身体の芯も顔も耳まで、びっくりするほど熱くなっていく。
 悔し紛れに自室へと走って帰ってきてみたけど、もしかしたら今頃笑われているかなと思うと余計に悔しくなった。
「…………ばか」
 小さく毒づいて、片手に持ったニャンチョコを見る。
 私は、きっとこの先、このチョコを食べるたび――彼の唇を思い出してしまうのだろう。甘い呪いにかけられたみたい、なんて自分の首を絞めるようなことを考えてしまって、案の定気恥ずかしさを持て余した私は、その場にしゃがみ込んで膝を抱えた。



ウォーアイニー/ソン・シャン


「……ん?」
 ある朝、私が共有スペースから戻ってみれば、自分に割り当てられた部屋のドアノブに白い紙袋がぶら下げられていた。差出人は不明。宛先は、たぶん、このドアノブにかけてある以上は私で間違いないのだろう。中身は――
「わあ、綺麗!」
 もう今がピークと言わんばかりに大きく咲いた真紅のバラが三本。思わず感嘆の声がこぼれる。
 紙袋の中から取り出してみると、独特の芳香が辺りに広がった。
 それにしても、誰がくれたんだろう。リリンがお客さんからもらったのかな。リリンなら確かにお花よりも現金の方が喜ぶタイプだろうから、私に回してきてくれても不思議じゃない。
「ともかく、せっかくいただいたんだから大事にしないと……」
 お花なんて生けたことがないから、すかさずスマホで色々と調べ始める。わからないことがあったら検索するに限る。自分の判断でやるよりも確実に長持ちさせてあげられるだろう。
「綺麗なバラですね」
「うん、もらったの。お花なんてもらうの初めてだけど、嬉しいものなんだね」
 通りかかったジュンユンが声をかけてくれたので、顔を上げて返事をする。ジュンユンは、私の返事を聞いてもう一度しげしげとバラを眺めた。
「……ああ、なるほど」
 顎に手を置き、やけに納得のいった様子で頷く。それから、私を見ていつものにこやかな微笑みで、
「――シャンも、隅に置けませんね」
 そんなことを言い出した。
「えっ」
 なんでそこでソン・シャンの名前が出てくるのかがわからず、素っ頓狂な声が出てしまう。
「中国では情人節――つまりバレンタインデーに、男性から女性にバラを贈る文化があります」
 戸惑う私をよそに、ジュンユンは笑顔を続けたまま教えてくれる。
 そういえばアコライツとの戦いですっかりと忘れていたけど、今日は2月14日のバレンタインデーだった。あっちのバレンタインって女の子からプレゼントを渡すわけじゃないんだ、知らなかった。……いや、でもだからって。
「で、でも、シャンとは限らないよね? 女子からかもしれないし……?」
「いえ、これを見る限り、貴女はとても愛されています」
「あいされ……、えっ?」
 文化の違いなんだろうけど、ジュンユンは臆面もなくとんでもないことを言ってのける。私はと言えば、彼から出てくる言葉にひたすらオロオロしてばかりだった。
「三本のバラは、『あなたを愛しています』という意味ですから」
「な……な、えっ?!」
 バラの本数にまで意味があるとか、そんなの聞いてない。バレンタインはあげる日って思ってる私にはちょっとあまりにも刺激が強かった。
 そ、それが本当にシャンがくれたもの、だとしたら、私……私……!
「そういえば私が出てくるとき、シェアスペースにとても落ち着きのないシャンがいました。確かめに行ってみては?」
「え……ええっ……?!」
 私さっきからほとんど『え』しか発音していない。
 最後にとっておきの笑顔を残して、ジュンユンはすごく嬉しそうに去っていく。からかってくれた方がよほど気が楽なくらいの男前さだ。
「どっ、どど、どどどど、ど、どう、どうしよう……」
 一人残された私は、風の又三郎並みにどもりながら、共有スペースの方向に視線を送る。
 困った。どうしたらいいんだろう。どう確かめて、どうお返事をしたらいいんだろう。でも、本当に困っているのは、私がシャンからの気持ちを迷惑に思っていないどころか、ものすごく嬉しくなってしまっているということで――その、つまりは私、これがシャンからの贈り物であってほしいと心から願っているということだ。
 矢も盾もたまらずに、ぎゅうと抱きしめた赤いバラのラッピングは、私の腕の中で少し迷惑そうな音を立てた。

バレンタイン2018 :2018/02/12-25
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