焦燥がメガキンの身を焼いている。
電脳世界のようでもあり古代遺跡のようでもあるこの地下空間で、つい今の今まで近くにいて、一緒に探索を続けていたはずの彼女が、忽然と姿を消してしまったのだ。
「くそ……どうして……」
アウラゲートの中では、プラスでもマイナスでもどんな不思議なことも起こりうるというのは、犀川青蘭の言葉だった。だが、それがまさか、ともにいた仲間と前触れもなくはぐれるようなことまで起こるとは、予想だにしていなかった。
着けていたゴーグルを額まで力任せに上げて、ぐるりと周囲を見渡す。
ここにはよくルーキーに誘われてともに潜ってきたが、この層はこんなにも広かっただろうか。こんなにも――心細い場所だっただろうか。
悪魔の仕業なのか、異空間のなせる業なのか、ただの迷子なのか。迷い子なのだとすれば、それは自分なのか、それとも彼女なのか。
いずれにせよ無性に襲い掛かってくる不安は嘔吐感となって、みぞおちから胸元までせり上がる。
今現在は幸いにも悪魔の気配をあまり感じないが、アウラゲートには時折とても強大な悪魔も出現する。もしも何らかの事情で満身創痍となってしまった彼女の目の前にそれが現れたら――?
「……っ、ルーキー! ルーキー、どこだ!」
為す術なく悪魔に蹂躙される想像を振り払うようにして、大声を上げる。
不安なのは、自分だ。恐怖を感じているのは、他ならぬ自分だ。
この空間や悪魔を恐れているのではなく――自分のあずかり知らぬところで、守る手立てすらなく彼女を失ってしまうことが、ただ恐ろしかった。
「迷子になったらその場に留まるってのがセオリーだが、そうも言ってられないな……」
あちらが留まってくれてればと、ささやかな願いとともに足を一歩踏み出した、矢先。メガキンの行く手に高密度な量子の波が生まれた。波動の中央に、巨大な白馬にまたがり王冠を被った骸骨の騎士が現れる。
「――滅びの時は来たれり」
「『滅びの騎士』か……! シット、こんなときに!」
悪態をつくと、白馬のあらゆるところについた眼がこちらを向く。だが、外見の気味悪さよりも行く先を阻まれた怒りの方が先立った。
「悪いがどいてもらうぜ……俺は、大切なモンを守りに行くとこなんでな!」
そうだ、失いたくないのは、何よりあの子が大事だからだ。この先も、あの子と一緒に戦い続けていきたいから、だから。
「汝、運命を見定めよ」
騎士の声が地を震わす。メガキンは臆することなく前を見据え、手に持っていたスマートフォンを握り直した。
――だから、必ずきみを、見つけ出す。
(2018/03/03)
シクラメンは赤く燃える
「そういえば私、メガキンの動画ってまともに観たことないんだった」
リベレイターズの期待の星であるルーキーが、そんなことを言い出したのは一時間とちょっと前だった。それから彼女はヘッドフォンを耳につけ、共有スペースのソファでひたすらタブレットとにらめっこをしている。あるときは肘置きを枕にして仰向けで、あるときは膝を抱えて座ってみたり、地面にへたり込んでソファの座面を机代わりにしてみたり、とかく様々なポーズでタブレットと向き合っていた。
「……ん?」
ふと誰かがやってきたことに気がついて、彼女は話しかけられるよりも先にヘッドフォンを外し、そちらを見た。パーソナルスペースはあまり狭くないようだ。
「こちら、置いておきますね」
「ありがとうございます」
ここの執事さんが紅茶を置いてスペースからいなくなると、再びここは俺と彼女の二人きりになった。
彼女は相変わらずタブレットを見ている。俺はと言えば、彼女のことを見ている。
暇だと笑われるかもしれないが、飽きもせずに、ただ見ている。いやもちろん暇じゃあないんだ。機材の調整や編集作業をしたりもしているし、ビュー数を確認して傾向と対策を考えてみたり、もちろん支部長なりの用事や情報収集だってある。
ただ、その合間合間で気がつけば彼女を見てしまっている、ってことだった。
「あのさ」
隣に腰掛ける。適度な休憩は大事だ。
俺が座って、少ししてから彼女は目だけでこちらを向いた。ゆっくりと外されたヘッドフォンから、自分の声が漏れ聞こえる。
「ごめん、何か話してた?」
「俺の動画観たことないって言ってるけど、じゃあどうやってアプリをダウンロードしたんだ?」
「ああ、そのこと……そのことかあ……」
賞金稼ぎに啖呵切ったり、アコライツのダウンローダーに襲撃されても物怖じしなかったり、わりとはっきりした性格をしている彼女が、珍しく口ごもる。
「…………タップミス」
「ワッツ?」
「だから……違う動画を観ていたときに、たまたまタップミスして開いたのがメガキンの動画だった……みたいな感じ……?」
「……なるほど」
運命的と言うにはあまりにも偶然が過ぎる。肩を落とす俺を気に留めた様子もなく、ルーキーは再びヘッドフォンを耳にかけてタブレットの動画に戻っていく。
仕方ない、俺も作業に戻るか、と。立ち上がりかけたところで、腰をソファに戻した。
――なんか、全体的に癪に障る。
さっきから俺ばかりが彼女を見ていて、彼女はまともに俺を見ていない。執事さんにすら顔を向けていたっていうのに、俺にはちらっと目線をくれた程度だ。
タブレットを覗き込むと、画面の向こうで俺が動いている。音声はヘッドフォンを通して彼女の耳に吸い込まれていっているが、どうせ俺のことだ、テンション高く何か話しているんだろう。彼女の目も、彼女の耳も、俺という虚像に向けられているってのに――リアルの俺のことはほったらかしだ。
それが、なぜだかひどくムカついた。
衝動に襲われて、俺は手を伸ばす。肩を抱き寄せて、ヘッドフォンを首元までずらして、空いたその耳に唇を近づける。
「ハロー、メガチューブ?」
いつもの動画よりも低く、小さく、彼女の脳髄ごと鼓膜を“いやらしく”揺らしてやる。
「きみだけにトクベツ、東京都内某所からリアルの俺をお届けしまーす」
「……ッん、ちょ、メガキン?!」
抱いた肩がビクンと震えて、手に持っていたタブレットがラグの上に静かな音とともに落ちていく。反応は見る限り上々。
さて、画面の向こうのアイツから彼女の耳を奪った。今度は目を奪って、そしたらあとは時間と、心と、身体と――おっとここからは良い子も観ているメガキンVIDEOじゃあ流せないな。非公開にしちゃうけど、またの視聴よろしく!
(2018/03/09)
浮桜
お堀の水面と春色の青空に挟まれて、薄紅色の桜が盛っている。
ここは千鳥ヶ淵。桜の名所と名高い花見スポットである。アジトのある秋葉原ではとんとお目にかかれない桜を見に行きたい、と言ったルーキーに対して、龍造寺梨花がこの九段下付近のスポットを紹介してくれたのだ。
縁道に往来する大勢の花見客を、水上に浮かんだボートから対岸の火事よろしく眺めているのは、ルーキーとメガキン。つまるところ、花見デートである。
「梨花ちゃんにとっては、あの花見客全員が標的ってわけか」
いつもの赤いジャケットではなく、少し目立たない色の上着を羽織ったメガキンがふと言った。
梨花がこの場所を勧めてくれたときのフレーズは、「お花見でしたら、私の学校の近くは綺麗ですよ。この時期は人が多いのできっと撃ち甲斐がありますね」だった。二人揃って物騒な後半部分は聞かなかったことにしたのだが、その人の多さを目の当たりにしてみると、思い出してしまって笑いがふつとこみ上げてくる。
「梨花ちゃんは丸腰で連れて来ないと、無差別銃乱射事件が起きちゃいそう」
「……否定できないところが残念だな」
メガキンが進行方向に背を向けてオールを両手に持ったまま肩をすくめれば、向かい合って座るルーキーがくすくすと笑う。
二人を乗せたボートが、水面に浮く桜の花びらをかき分け、ゆっくりとした速度で進んでいく。
操舵するメガキンは他のボートにぶつからないよう周囲を見ながら、縁道から枝がせり出ているソメイヨシノの下へ入っていった。木の下から眺めるという意味では地上と何も変わりないというのに、水上からというロケーションは不思議と桜の美しさを一層のものにする。少しボートを停めると、彼女はきらきらした瞳で仰のく。
「わあ……すっごく綺麗……!」
うっとりと頭上を見上げる彼女は、まるで桜に溶けるようなパーカーを身にまとって、その唇にゆるやかな弧を乗せている。メガキンは漕いでいた手を止め、真正面にあるその微笑みを面映げに見つめた。
たまにはゆっくりしたいね、などと事あるごとに言ってきたが、それがこんな形で叶うとは思ってもみなかった。こんなのどかな日に女の子と二人でボートに乗って過ごすなんてことは、動画を配信し始めてから、そして、アコライツとの戦いに身を投じてからは、想像すらしていなかったことだ。
「ね、メガキン」
見つめていた相手が、柔らかな声音で自分を呼んだ。不安定なボートの上ということもあって、猫のような格好でこちらに近づきながら、そっと指を伸ばしてくる。
「髪の毛に、これが」
髪に乗っかっていたらしい花びらを摘んで、見せてくる。
「なあルーキー、コイツをいっぱい俺の自慢のヘアーにくっつけたら、満開の桜みたいに見えると思うかい?」
「何それ、動画のネタにしようとしてる?」
「季節感があってナイスアイディアだろ」
言って、笑い合う。ありふれた会話も、彼女の指から花びらをさらう風も、ただ穏やかだ。
元の場所に座ったルーキーとメガキンの間に、小鳥がついばんだ後だろう、今度は桜の花冠ごとゆっくりときりもみしながらボートの床に落ちてくる。
ひとつ。ふたつ。この時間のようにゆるやかに降ってきた桜の、みっつめ。偶然にも二人ともがそれを拾うべく屈んだところで、額同士を軽くぶつける。謝ろうとして視線を上げ――もうひとつ見つけたその薄く色づいた桜に、メガキンはそっと口付けた。
唇を離したごく近い距離のまま、はにかみながら二人でもう一度笑い合う。
青臭いほどの初々しさは懐かしくて、切なくて、もどかしくて。それでも、しあわせと呼ぶのに差し支えはないように思えた。
(2018/03/27)