アコライツとの戦いが激しさを増していることや、メガキンが支部長であり人気メガチューバーであるという現実が、彼らの関係の進展に支障をきたしていると言っていいだろう。ルーキーの方は、自身が支部長という立場のメガキンの足を引っ張ることや、メガチューバーとしてのメガキンの人気を落としてしまうことを恐れているようだったし、見た目よりも誠意に溢れた男であるメガキンもまた、加入したばかりのルーキーに手を出すことで彼女に不誠実な印象を与えてしまうことや、自身の役割が疎かになってしまうことを恐れているようだった。
二人のその様は、彼らの日頃の様子を見ている仲間からしてみればもどかしくなるほどではあったが、それでも、きっと近いうちに互いの手を取るだろうと、それぞれがほのかな願いにも似た楽観を抱いていた。
そんなある日の朝早く、アジトの扉が勢いよく開かれた。
廊下にドタバタと足音を響かせて走り、耳のついたピンクのケースを装着したスマートフォンを印籠のように掲げながら一人の女子高校生が部屋に入ってくる。
「ちょっとメガキン! これどーゆーことよ?!」
朝食を食べていた面々がその騒々しさに思わず動きを止め、入室してきたリリンへと視線を注ぐ。
アイリーンこと上田リリンは、いわゆる苦学生だ。アルバイトをして生活費を稼ぐかたわら、リベレイターズの一員として活動している。今日は朝からこのリベレイターズ関東支部兼シェアハウスに集まって活動の進捗報告や情報交換を行っていたが、彼女だけは弟や妹の面倒を見る必要があるからと前もって遅刻の連絡があった。だが、ただ遅れてきただけの登場であればここまで荒ぶる必要はない。
「YOアイリーン、ずいぶんゴキゲンナナメな登場だな。俺がどうかしたかい?」
「どうしたもこうしたもないっての! こ・れ・は! どーゆーことかって! アタシの方が聞いてンの!」
右肩をきゅっと上げながら軽い口調で問いかけるメガキンに、リリンは大股で近づき、この印籠が目に入らぬかと言わんばかりに鼻先へスマートフォンを突きつけた。
「どれどれ? ……っと、あー……コイツは……」
いささかの寄り目になりながらその画面を見たメガキンの反応は、リリンの噴火ぶりに対して静かなものだ。真剣な顔で、ふむ、と唇を尖らせた。
メンバーの一人であるツァイ・ジュンユンは、メガキンの隣に座っていた。位置的に自然と液晶画面が視界に入り――すぐに顔色を変えて立ち上がる。可能な限り穏便に済まそうと、二人の間に割り込む。
「リリン、この場でその怒りは相応しくありません。場所を変えましょう」
「――けど!」
食い下がるリリンへ、ジュンユンは格闘家然とした風貌に似合わないほど優しく首を横に振った。
「けど、ではなく、だからこそですよ。この場ではいけません」
諭すように言われて、リリンは周りを見渡す。それでようやく力を抜くと、渋々といった風にうなずいた。
「……メガキンも、よろしいですね?」
ジュンユンは続けてメガキンに体を向けた。紳士的な対応ではあったが、その瞳に浮かぶ感情はリリンのそれとほぼ同じ色をしている。
「OK、それじゃ俺の部屋に行こうか」
メガキンが静かに答えたのを合図に、三人は歩き出す。
最後に一瞬、メガキンはダイニングテーブルの方を見遣り、自分を見つめるルーキーと視線が合うやいなや、その目をかすかに伏せた。
「……何かあったのでしょうか?」
龍造寺梨花が、三人を不思議そうに眺めてつぶやく。
「リリンがあそこまで怒るのは珍しいですね」
ソン・シャンはあくまでも軽い口調で答えながら、透明なグラスを手に取る。それから、ルーキーに声をかけようとして思い留まり、かけようとした言葉ごとグラスに入っていた水を一気に飲み干した。
黙ったままの彼女のその表情には――あらゆる憂いが満ちていた。
少し後、ジュンユンは難しい顔をしてシェアスペースのソファに座っていた。
場所を移した直後、メガキンの頬に平手打ちしようとしたリリンを物理的に止め、何とかうまくなだめて学校へと向かわせることに成功した。梨花とシャンもそれぞれ学校へ向かった今、このシェアハウスにいるデビルダウンローダーは、自身とメガキンとルーキーの少女だけだ。
先刻リリンがスマートフォンの画面に出していたのは、いわゆるゴシップ記事だった。メガキンほどの人気配信者ともなれば、ちょっとしたスキャンダルも話題になる。要するに、大手ネットニュースサイトの今朝のトップに、彼についての記事が掲載されていたのだ。
人気メガチューバーM、既婚女性と不倫――そんなありきたりなトピックスは、朝から何気なくネットニュースを見ていたリリンの頭にたちまち血を上らせた。
決してリリンはニュースの記事を鵜呑みにしたわけではない。ただ、あの二人は想い合っているくせにどこか立場や相手のことを考えすぎて、互いの手を取れぬままいる。だから、関係が成り立たぬままそんなスキャンダルを撮られてしまった不注意も、それで二人ともが傷つくであろうことも、けれど自分にどうにかできることではないことも、すべてがとにかくやりきれなかった。その感情は、まだ年若いリリンには過ぎたものだった。すぐさまここに駆け込んで、メガキンの頬でも引っ叩かなくては収まらない程度には、悔しくて仕方なかったのだろう。
――あの子がいるのに。あの子のこと好きなくせに。なんでこんなヘマすんの。
ルーキーのことはもちろん、メガキンのことをも心配しているからこそ、リリンはそうやって激怒した。その気持ちは、ジュンユンとしても理解や共感ができるものだった。
だからこそリリンを登校させた後、しばらくメガキンと対話を試みたのだが、結果は好ましいものではなく――こうしてソファで頭を冷やしている。
「……ジュンユン?」
そこへ後ろから声がかけられて振り返ると、ルーキーの少女が立っていた。
「先ほどは食事の途中で失礼しました。私に何か用事でも?」
「あ……ううん……特に何も……」
返ってきた声は、不安に満ちている。スマートフォンを握り締める両手には余分な力が入り、いつも快活な表情は曇り、よく羽織っているピンクのパーカーがくすんで見えた。もしもこの場にメガキンがいたなら抱きしめてあげなさいと背中を押したくなるほどのあえかな雰囲気を漂わせた立ち姿は、彼女がくだんのネットニュースを目にしたことを明確に示していた。
「よろしかったら隣に座りませんか?」
自身の隣を軽く片付けて、にこやかに問いかける。
所在なさげにしていた彼女は戸惑いがちにうなずきながらも、どこかほっとしたような様子でおずおずとソファに腰を下ろした。下ろしたのはいいのだが、ひどく浅い座り方で、背筋を不自然に伸ばして視線をあちこちさせている。挙動不審が服を着て歩いていると言っても過言ではない。
「貴女は、嘘がとても下手です」
「えっ……そ、そんなことないけど」
「メガキンのことが気になるって、顔いっぱいに書いてありますよ」
「ええっ?!」
慌てて顔を触る彼女の仕草にジュンユンは少しだけ笑って、それから、表情を引き締めた。
「メガキンのニュースを読んだのですね」
「……うん……リリンのスマホの画面、ニュースサイトのロゴが見えた気がしたから」
「あれを真実だと思いますか?」
彼女はうつむき、首を横に振る。思わないというよりも、わからない、の意味だろう。
「では、本人に確かめてみてはどうです?」
もう一度、首を振る。今度は少し強い振り方だった。
「なぜです」
「……私に、そんな権利、ないし」
赤みがかった茶色の髪が、下を向く彼女の顔を隠す。
「嫉妬する権利なんてない……ただの、仲間なんだから」
ラグマットへ落ちていく悲痛なつぶやきは、矢継ぎ早に質問してきたジュンユンにひとつの既視感をもたらした。
しばし瞠目した後で、困ったように眉を下げて笑う。突如くすくすと笑われたことが腑に落ちなかったのだろう。彼女は一瞬ぽかんとした様子でジュンユンを見つめた。
「失礼、何でもありません」
微笑みのまま煙に巻く。実は、先ほどメガキンとのやりとりの中で彼女と似たようなことを言っていたのだが――それは自身から伝えるべきことではない。
本当に、似た者同士でお似合いの二人だ。
誰よりも信頼を預け、誰よりも守りたいし愛おしいと思っている。だのに、傍にいるだけでいい、この関係に名前をつけなくてもいいと、物分りのいい顔をした。ゆえに二人の間には、決して壊れることはないが積み上げていくこともできない、いびつな関係ができてしまった。
「では――」
こういう二人は、何かのきっかけを与えなくては、得てしてやり直すことすらできないものだ。
「彼とはただの仲間だというのでしたら、私とお付き合いするというのはどうですか?」
ジュンユンは体の正面をルーキーへ向け、スマートフォンを持ったまま膝の上に置かれた両手へ、そっと自身の片手を重ねた。
「え……?!」
「もちろん今すぐにとは言いません。考えてもらえると嬉しいです」
「ジュンユン、じょ、冗談……だよね?」
向けられた当惑に、かぶりを振る。それでますます戸惑いを深め、瞳を不安げに揺らした彼女は――しかし、少しずつ時が経つにつれて、落ち着きと常の気丈さを取り戻していった。
「でも私……やっぱり、メガキンのことが、好き、だから」
自分の気持ちを確かめるような、認めるような言葉が、静寂にはっきりと咲く。
「……ただの仲間でしかなくとも? 彼が、既婚者と交際しているかもしれなくとも、ですか?」
「例えそうであっても……私とメガキンがどんな関係であっても、好きな人の近くにいたいし、好きな人の役に立ちたい。私……メガキンの力になりたい」
少し意地の悪い問いかけにも、彼女は迷いを見せなかった。ともすればダウンローダーと戦っているときのような力強さをたたえて答える姿に、ジュンユンは深々と息を吐き、
「――だそうです、メガキン」
言いながら、シェアスペースの出入り口に視線を送った。
そこには、このシェアハウスの長が、ほの朱く染まった色白の顔を隠すように片手で口元を覆った姿勢で立っていた。
「えええっ、め、めめ、メガキン……?!」
この場で驚いたのはルーキーだけだ。まさかのご本人登場で声が裏返っている。
「女性にここまで言わせたのですから、もう知らないふりはできませんよ」
「……わかってる。ギブアップだ」
ジュンユンがにっこりと笑う。メガキンはばつが悪そうに肩をすくめたが、その実、口調にも表情にも清々しさが浮かんでいた。
「すみません、どうしても貴女の本音を聞きたかったので、ひどいことをしてしまいました」
触れていた手を放して頭を下げると、彼女は「えっと」と口ごもりながらジュンユンとメガキンとの間で視線を忙しなく動かす。
「ちょっと落ち着けば、それが俺や自分のためだったってわかってくれるさ、なあルーキー?」
ひたすら当惑している様子を見かねたメガキンが助け舟を出す。ルーキーは素直にコクコクとうなずいているが、胡乱げな視線を見る限り、まだ混乱から脱しきれてはいない。それでも怒っている様子はなく、ジュンユンはほっと胸を撫で下ろした。
「それより、ブラザー」
小気味良い音を鳴らしたメガキンの細い指先が、ジュンユンへ向けられる。いささか落ち着いた部屋の空気は、彼のいつもの軽快な調子でより一層和らぐ。
「そのポジション、そろそろ俺と代わってもらえるかい?」
「もちろん」 答えてソファを立ち上がる。
すれ違う瞬間、ありがとな、という声とともに肩を叩かれる。ルーキーの隣に座るときに見えたメガキンの横顔は、とても晴れやかだった。
――俺とあの子は、あくまで仲間って関係だろ? だから俺は、例えどんなにライムを刻んであの子に言い訳したくても、そもそも弁明できる立場にはないのさ。残念なことにね。
さっきまでそんなことを覇気弱く言っていた彼は、もういない。ここにいるのは、メガキンではなく――布施太郎という一人の男だ。吹っ切れたその姿は、二人の未来が明るいものになることをジュンユンに確信させるに足るものだった。
あとは二人で話をさせて問題ないだろう。後ろを振り返ることなくシェアスペースから静かに離れていく。
アジトの外へ出てすぐにスマートフォンを取り出し、連絡アプリを立ち上げる。
今すぐ彼女に連絡をしよう。授業中では少し迷惑になるかもしれないが、一秒でも早くこのことだけは伝えたい。学校帰りの彼女がはたしてどんな様子でこのアジトへ訪れるのだろうか。少なくとも、朝とはまったく異なる顔をして飛び込んでくるのは間違いないはずだ。
「……リリンのおかげで、二人はきっととても幸せになれます」
送信は完了した。
喜ばしいトピックはもう間もなく、仲間思いの少女の元へ。