人類最後のマスターから、人理修復を成し遂げたマスターへと肩書きを変えた藤丸立香。偉大なるマスターは人理再編のため、今もレイシフトを行い、戦いの日々に身を置いている。
 生身の人間である彼は、レイシフト先では存在が不安定になる。その存在を常に証明し続ける――それが、私たちカルデアスタッフがまず行うべきサポートのひとつだ。
「交代の時間よ。お疲れさま」
 中央管制室のモニターとにらめっこしていた私の肩を、労いの言葉とともに先輩スタッフが軽く叩いた。それで初めて時間の経過を知り、ずっと肺に溜めていたのではと思うほどの空気を、ふう、と大きく吐き出す。
「藤丸くん、どう?」
「バイタル、メンタル、ともに良好。今のところ順調です。そろそろ帰還できそうですね」
 手短に状況の説明を行い、引継ぎをしてから椅子を渡す。それからようやく時計を見ると、ぴったり深夜の三時だった。次のシフトも今夜と同じだから、夕方までは少しゆっくりできる。
「んー、あっという間に時間が経つなあ」
 管制室を出たところで大きく伸びをすると、喉の渇きを急激に自覚した。お腹も少し空いている。
 本当に、藤丸くんがレイシフトをしているときの時間の進むスピードはすさまじい。少し自分にとっていい言い方をするならば、それほど職務に集中できているということかもしれない。勤務後は、脳からも肉体からも、水分、糖分などのありとあらゆる栄養分が不足している気がするほどだ。きちんと何か食べてから寝よう。
 座ったままだったにも関わらず、ずっしり重たくなった足を動かして食堂へ向かった。



 十分な魔力供給を受けているサーヴァントは、基本的には睡眠や食事を必要としない。それらを欲するサーヴァントは、大抵の場合が単なる趣味嗜好として行うもの、のようだ。エミヤさんから聞いたお話では、そういうことだった。
 英霊エミヤはまさにその一人らしく、料理をはじめ家事の類はとてつもなくお上手だ。武器の整備や自己鍛錬、精神統一、あらゆることをこなした上で、なおかつ、自分以外の人にもクオリティを下げない料理を振る舞い、その後片づけまで一切のそつがない。
 私たちは、本来カルデアの中央管制室に関わりのないサーヴァントとはあまり面識がなかったりするのだけど、エミヤさんの場合は(おそらくご本人が女性好きということもあって)、よく管制室に顔を覗かせてスタッフと情報交換(という名目の世間話)をして帰ることが多々ある。あれだけ日々やるべきことをやっている中でサーヴァント同士やマスターとだけでなく、私たちカルデアの人間(の主に女性陣)ともコミュニケーションをきちんと取れているというのだから、彼の時間の使い方は本当にすごい。
 そんなエミヤさんと、ある日深夜の食堂で顔を合わせたことがあった。その日は今夜と同じように藤丸くんがレイシフト中というときで、夜勤後どっと出た疲れに精も根も尽き果て、もう何か飲むだけで寝てしまおうと思っていた。それを見咎めた度を越して世話好きの彼が、部屋に帰ろうとした私をすごいオーラで押しとどめ、椅子に座らせて待たせると、それはそれは深夜とは思えないレベルでバランスの取れたおいしいご飯をさささっと作って食べさせてくれたのだった。
「エミヤさんはいいお嫁さんになれますね!」
「……せめて婿と言ってほしいところだが」
 その晩から、食堂に寄るのは仕事後の楽しみとなった。特に夜勤明けに振る舞われるエミヤさんの料理はとても楽しみだった。
 私のシフトは夜勤が多い方だし、特別睡眠が必須ではないエミヤさんは、よく夜中に水回りの手入れをしていたりする。となると、深夜の食堂で会う機会は自然と増えた。
 もちろんお忙しいエミヤさんが必ずいるとは限らない。でも、偶然会えば何か夜食を作ってくれることもあったし、例え会えなくても、あれほど真剣に体のことを考えて料理を作ってくれたことが嬉しかったから、自分でもきちんと作って食べる、ということを意識するようになった。
 思えば、カルデアに赴任してから、いつしか自炊するなんて考えはなくなっていた。食堂があるから自分で作ることもなくなったし、カルデアの爆破事故があってからはそんな暇も余裕もなくなり、保存されているファーストフードで済ませることがほとんどだった。けれど、バランスの良い食生活を意識して実践してみると、健康面だけでなく仕事の効率にも変化があった。また、キッチンに訪れると、料理上手なサーヴァントから得意料理や郷土料理を教えてもらうこともある。みんな世話好きで教え上手で、新しい料理を作るのも食べるのもとても楽しくて、私にとって、料理や食事がとてもいい息抜きになっていった。
 こんな風に、様々な意味で手作りのご飯の大切さや楽しさを思い出させてくれたエミヤさんには、実はすごく感謝していたりする(と言うと、珍しく少年のように微笑んでくれたので少しびっくりした)。
 ちなみに、本日そのエミヤさんは不在。過去に特異点だったところに発生した揺らぎを調査する少人数のチームに含まれていて、藤丸くんとレイシフトしている最中だ。
「冷蔵庫には何が残っているかなー」
 そういうわけで、誰もいない深夜の静かな食堂に入り、キッチンに入る――と、こんな時間で誰もいないはずのそこには、意外にも人がいた。意外にも人というか意外な人というか、そもそも人っていうか、
「――なんだ。オレがここにいるのはそんなに不可解か?」
 つい最近お越しになった英霊で、その、いつもいるエミヤさんとは違う方のエミヤさんだった。
「あ……いえ! そういうわけじゃなくって……ええと、お疲れさまです」
「お疲れさま、か。レイシフトもせず無為に過ごしているサーヴァントに、ずいぶんと嫌味なものだな」
 その低い声は、聞いたことがあるものと同じようで、だけどその実、まったく初めて聞くものだ。
 エミヤさんもニヒリストではあるけど、こちらのエミヤさんは反転した英霊なだけあって、その皮肉っぷりは通常のエミヤさんよりはるかに刺々しい。そもそも、黒い肌に剃りこみの入った白銀の髪、人を寄せ付けない鋭い金色の瞳、無愛想な表情という見た目からしても、なんとなくアバンギャルドでデンジャラスな感じがあって、正直ちょっと怖い。
 なんだかんだ人が好きなエミヤさんと違って、彼自身は私たちと関わる必要性を一切感じていないのだろう。これまでお見かけしたことはあれど接する機会などなく、ファーストコンタクトがこのやりとりなのだから、「あ、たぶんちょっと面倒くさいタイプだ」と心の中で思ってしまったことくらいは許されたい。
「あの……そこ、使ってもいいですか?」
 キッチンで何か用事をしていたのか、ペーパータオルで手を拭いていたオルタのエミヤさんは、私の問いかけに対して、無言で場所を譲ってくれる。そのままキッチンを出て行こうとする背中に、慌てて「ありがとうございます!」と言ったが、そちらに対しても同じく無言。でも、皮肉を言うでも嫌な顔をするでもなく、そっと明け渡してくれたことはすごく意外だった。
 万が一何か食べようとしていたのだったら(可能性はかなり低いと思うけど)どうしようかと思ったけど、追いかけていくのも違う気がする。とにかく、さっと食べられるものを作って、せめて彼が帰ってきたときにすぐ使わせてあげられるように……ん、『使う』?
 もしかして――オルタのエミヤさん、(あの見た目で)何か作ろうと、してた、の、かな?
 彼が食事や料理を好んで行うようにはあまり考えられないけど、霊基そのものが異なるとは言っても、元のベースは同じ人物なのだから、オルタ化していようと料理上手なのは変わらないのかもしれない。
 どんな料理を作るんだろう。少し見てみたかったな。
 そう思ったところで、「ふわあ」と間の抜けたあくびが出てしまった。気のせいか少し頭がふわふわとしてきたし、とにかく軽く食べられるものを作って、食べたらさっさと寝ようと、冷蔵庫に手をかける。
「卵、鶏肉、青野菜……」
 ぱっと目についたものを取り出し、エミヤさんが作り置きしているだし汁を拝借する。もちろん「こんなものでよければいつでも使ってくれていいとも」という快諾を得ている。
 今夜のメインは、(私も作ったことは何度もあったけど)以前、和食の得意な式さんが「簡単だけど、蒸し方次第で味も食感も変わる繊細な食べ物」と茶碗蒸しのレシピを(とても素っ気なく、そしてとても丁寧に)教えてくれたので、それを作ることにする。
 卵を割って溶きほぐし、だし汁を注いでゆっくり混ぜる。味を調えてから網目の細かいざるで濾し、具材の入った容器に注ぐと、蒸し器代わりの薄くお湯を張った鍋へ。タイマーをセットして蒸している間に付け合わせを作り、茶碗やお箸の用意をして、それから――
「あれ……?」
 簡単なお味噌汁を作ろうとしたところで、頭がもう一度ふわっとして、今度は足元にまで余波が来た。ふらついた体を咄嗟にシンクを持つことで支え、はあ、と息をつく。その息がやけに熱いことで、ようやく自分の体調が悪くなっているのに気がついた。
 途端にぐるん、と目に映る世界が回り始める。仕事中は緊張感でごまかされていてわからなかっただけで、それが今頃になって急に自覚症状として現れたらしい。
 一周回った世界はうねりを帯びながら何周も回り、体を支えているのもしんどくなって、シンクの下の開き戸を伝うようにしてその場に屈み込む。呼吸が荒くなり、目の前が回りすぎてくらくらする。しゃがむのも精一杯になって、視界とともにくらりとよろめいたのがわかったけど、自分ではもうどうすることもできないまま床へ倒れた。
 あ、これ、よろしくない状況かもしれない。
 誰もいない深夜の食堂で、ご飯の支度の途中で、ここで倒れるのはちょっと……ああそうだ、茶碗蒸しを作ってる最中だ。お鍋の、火を、止めないと……。



「……あ、れ?」
 気がついたときにあったのは、違和感だった。ついつい、倒れる前と同じ言葉が口を突いて出る。
 違和感を確かめようとするも、まるでベッドに横たわる自分の体の後ろ半分に大量の水が溜まっているみたいに重たい。目覚めたばかりではこの体を起こすことができず、まだぼんやりとしている視界の中だけで辺りを確認する。
 天井は、よく見慣れたカルデアのものだった。ただ、自分の部屋と同じ天井なのに、配置が鏡に映っているような妙な感覚がある。ここは自分の部屋じゃないのかもしれない、と考えると、その感覚はすとんと自分の中で確信に変わった。
 うん、たぶんここは私の部屋じゃない。かといって、医務室という感じでもない。
 人の気配は感じられなかった。意識が遠のいた後、自分がどうなったのかはまったくわからないけど、状況から考えて、キッチンで倒れていた私をどなたか親切な人が気づいて運んでくれたのだろう。お礼を言って、ご迷惑をおかけしたことをお詫びしたい。
 まだ気だるい体を時の流れに任せるようにして、しばらく部屋の主が帰ってくるのを待ってみたけど、どうにも帰ってくる様子がない。
 覚醒してからの時間経過とともに気力や現実感が戻ってくると、人のベッドをずっとお借りしているのも居心地が悪くなってきて、ひとまずゆっくりと体を起こした。それから、そっと部屋を見回してみる。
 あまり生活感のない様子に、もしかして空き部屋なのではと疑ったけど、よく見るとそうでもなさそうだ。見える範囲に置かれている物がほぼないだけで、多少なり人が住んでいる雰囲気はある。そもそもカルデアで各人に振り分けられている部屋は、わりあい簡素なものだ。必要最低限ながら十分な設備の他は小さな緑が枕元に置かれている程度で、どちらかと言えば無機質と言える。その上、この部屋に住む人はどうやら更に必要最低限の生活品だけで暮らしているみたい、なんだけど――ふと、ベッドサイドの小さな丸いテーブルに、この部屋らしからぬものを見つけた。
「これは……私に……ってことでいいのかな……?」
 丸テーブルの上には、白い布のかけられた食堂のトレイが置かれている。布は凸凹としていて、その下にはいくつか食器があることは明白だった。
 少し体をテーブル側に寄せ、布に手を伸ばす。おそるおそる中身を覗くと、そこには、私がさっき用意していた作りかけだったはずの茶碗蒸しが見えて、どう考えても私のためというか私のものでしかなかった。
 布に隙間を開けた途端、(エミヤさん特製の)お出汁のいい香りが溢れて、無機質な部屋に刹那の生活感が満ちる。私の中にも忘れていた空腹が蘇ってきたけど、さすがにメモが添えられているわけでもないこれを勝手に食べるような真似はできない。
 空腹と食欲と理性でお腹と頭がぐるぐるしていると、予期せず部屋の扉が開いた。
「目が覚めたらしいな」
 あまり感情を感じさせない声の持ち主を見ると、私の頭のぐるぐるがより一層のものとなった。体調が万全だったなら(体調万全の私がここにいることなんてありえないんだろうけど)、驚きのあまりに叫び声を上げて即刻つまみ出されていたかもしれない。
「ひどい顔色だったが、多少はまともな面構えに戻ったじゃないか」
 ふん、と鼻を鳴らしてから近づいてくる。
 その姿が目の前に訪れて、そして、その視線に貫かれて、頭の中のぐるぐるは加速の一途をたどる。
「声が出ないのか。ああそうか、腐っているオレには返事をする気にもならないか」
 さっき、初めて会ったときと同じ調子で、皮肉たっぷりの言葉を放つのは、オルタのエミヤさんだった。
「そ……そうではなくて……いえ、その、声が出なかったのは、確かにそうなんですけど」
 ここってあなたの部屋なんですか、とか、あなたがこのベッドに運んでくれたんでしょうか、とか、もしかして倒れていたのを助けてくれたのってまさかあなたですか、とか――色々と考えたり確かめたいことはあるんだけど、ちょっと予想外すぎる相手が出てきて、私の頭の回転が光の速さと化している。すごい速度で回っているはずなのに、ひとつも考えがまとまらない。とにかく、何かお礼を言わないと!
「えっと――茶碗蒸し、助けてくれたんですよね」
 いやどう考えてもおかしいでしょこのチョイス。もっと他に言うべきことあるでしょ私。
 全身全霊でセルフ突っ込みを入れながら絶望している私をどう思ったのか、オルタのエミヤさんはもう一度、鼻を鳴らした。今度は不思議とあまり嫌味には感じなかったけど、それにしても口を滑らせて妙なことを口走った自分が恥ずかしい。
「い、いまのは、忘れてください……」
 とりあえずなかったことにして(もらえることを願って)、咳払いをしてからやり直す。
「あの……ありがとうございました」
「茶碗蒸しのことか?」
「そうじゃなくて!(なかったことにしてくれなかった……!)」
 意地の悪い顔は、こちらのエミヤさん独特のものだ。それでも決して楽しそうには見えないのが、この英霊の背負った業なのかもしれない。
「倒れていた私をわざわざ部屋まで運んでくださったり、親切にしていただいて、……もちろん、茶碗蒸しというかお鍋の火をつけっぱなしでしたし……」
 金色の双眸は、じっとこちらを見ている。どうしても萎縮してしまって、語尾にかけて段々と声が小さくなるのを自覚しながら、私はそれでも最後まで言い切り、ありがとうございました、と付け加えた。予想はしていたけど返事はなく、それきり部屋には静寂が訪れた。
 次にため息のようなものが聞こえたかと思うと、エミヤさんは黙って腕を組み、ベッドの脇の壁にもたれかかる。
 そこでようやく、自分が邪魔になっているのでは、という考えに至った。
 ここがエミヤさんの部屋だと確かめたわけではないけど、物の少なさが彼らしい気がするし、本人が断りなく入ってきたのだから、きっとそうに違いない。大して話したこともないような女が部屋に長々といたら、ただのご迷惑でしかない。(大体、怒らせたら怖い気がするし)(っていうか絶対怖いから)そろそろ帰らないとお邪魔になってしまう。
 急いで帰ろうとほんの少し身だしなみを整え、ベッドから下りるために体を動かす。まだ重心が安定していないみたいで、なんとなく上半身にふらつきを覚えた。
「何をしている?」
「ここに私がいたら、エミヤさんがお部屋でくつろげないですし……目が覚めたし、ご挨拶もできたので、帰ろうかと……。あ、あの、それと……ご迷惑かもしれませんが、後日またお礼に伺わせてください」
 抑揚のない質問をするのも、私の返答を聞くのも、同じ姿勢を綺麗に保ったままのエミヤさんが、顎をクイ、と動かして、ベッドサイドのテーブルを指し示す。私はベッドの上からそちらの方――さっきの、食事のトレイを見た。
「それを置いていかれることこそが迷惑だ。……オレはサーヴァントだから食事を摂らないんでね」
 なるほど。確かに私が作ったものだし、食べないエミヤさんの部屋に置いておいても処理にも困るだろう。持って帰ろうとトレイに手を伸ばしかけたとき。
「食べ終わったらさっさと出て行ってくれ。オレはアンタがいなくなった頃に戻る、それまでは好きにするがいいさ」
 そう言い放って、私よりも先にエミヤさんが扉の方へ歩いていく。
「えっと……えっ……?」
 それは、つまり、ここで食べて行っても構わない、ということなのでしょうか。
 黒肌の背中は、問いかける隙も拒む間すらも与えない。こちらには一瞥すらもくれず、部屋を出て行ってしまった。ぽつんと他人の部屋で一人きり残された私は、呆然としたままエミヤさんの消えた扉を見つめていたが、少ししてから我に返る。
 そうだ、とりあえず食べてお暇しなきゃ――と、トレイを覆う白い布を外したところで、私はもう一度呆然とした。
 エミヤさんが気づいて火を止めてくれたらしい(しかも、蒸し具合を確認した形跡もある)茶碗蒸しや、私が作って置いておいた付け合わせがあるのは理解できる。でもそのトレイには、私が盛った覚えのないご飯が茶碗に入れて置いてあって、倒れてしまって作ることのできなかったお味噌汁の入ったお椀があって、ご丁寧にお茶も載せられていたのだった。
 これ、もしかして全部エミヤさんが用意してくれたんだろうか。わざわざ、あちらのエミヤさんの作り置きのだし汁を使って、具材を用意して、お味噌を溶いて、そうやって作ってくれたんだろうか。
「……オルタのエミヤさんも、いいお嫁さんになれそうな気がする」
 もし本人が同席していたなら視線だけで跡形もなく瞬殺されそうなことをつぶやいてから、私は両手を合わせて「いただきます」と頭を下げる。口を湿らせるために、早速薄揚げと玉ねぎの入ったお味噌汁をいただいた。
「――おいしい」
 思わず声が出る。完全に冷めてしまったお味噌汁は、それでもお出汁のいい香りがしておいしかった。
 本当に、とてもおいしいんだけど、ただ――なんとなくいつもの香りと違う気がする。作る人が変わるとこんなに雰囲気が変わるものなのかな、と思ったけど、体調が悪いから味覚もあやふやなのかもしれない。気にしないことにして、他の食べ物にも手をつけていく。
「ごちそうさまでした。……うーん、食べ切れるものだなあ」
 そっと両手を合わせて、頭を下げる。
 体調が悪いなどと言いながらも、少し寝たおかげか意外にも食が進んで、終わってみれば食器は見事に綺麗になっていた。
 お箸を置くとき、ふとお椀へ目を向ける。
 あの後もお味噌汁を飲むたび、違和感のような不思議な感覚が浮かび、結局それは最後までずっと残ったままだった。



 それから三日が経過した。
 あの後トレイを持って自分の部屋へ帰って眠ると、大量の汗をかき、それですっかりと体が楽になった。もちろん次の日の仕事も休むことなく出勤でき、そのシフトの最中に藤丸くんたちはカルデアへ帰還したのである。
 コフィンから出てくるチームを拍手で迎える。オーダーを遂行して帰ってきた藤丸くんの無事な姿を見るのが、仕事のやり甲斐を一番感じる瞬間だ。
「――私がいない間に体調を崩したと聞いたが?」
 さて、藤丸くんチームが帰還したということは、とびきり世話好きでとびきり料理上手な男性サーヴァントも帰還したというわけで。どこから聞きつけたのか(たぶん女子スタッフとの世間話もといコミュニケーションだろうけど)、私が倒れた話題を持ち出してきた。
「まったく、君はまた不健康な生活でも送っていたんじゃないだろうな? 食生活も以前より改善されているとは言え、職務上どうしても体調を崩しやすいのだから留意せねばならないとあれほど――ああ、こうなったら夜勤明けだけと言わず、もう少し私が食事の面倒を……」
 夜勤明けだと食堂にはあまり人がいないので、こうしてエミヤさんにお説教をされていても助けてくれる人やサーヴァントの存在は期待できない。やむを得ず、無理やり話を変えることにする。
「お腹ぺこぺこです……早くエミヤさんのご飯が食べたいなあ」
「む、そうだったな。すぐに支度をしよう」
 赤い外套を着た背中がキッチンに戻るのを見届けてから、こっそりとため息をつく。
 あのときオルタのエミヤさんにお世話になったことを、私はなんとなく誰にも言っていなかった。どこからどう話が伝わるかわからなかったし、それは彼にとって本意ではないような気がしたからだ。なので、倒れたときの話をこちらのエミヤさんにされると(しかもお説教が長いのも)居心地があまり良くない。
 けれど――あの出来事そのものが、まるで熱に浮かされて見た幻のようだと今は思う。
 あれ以来、彼の姿を見ていない。部屋を訪れても、不在なのか居留守なのか、中からは物音すら聞こえてこなかった。
「簡単なものですまないが」
 手早く料理を済ませて芳香とともに戻ってきたエミヤさんが、目の前にトレイを置いてくれる。
 トレイの上は、白ご飯とお味噌汁と数種類のお惣菜の和定食だった。深夜なのでカロリーを抑えたメニューにしてくれているけど、これでランチや晩ご飯をお願いしたらどうなるのだろう。さっき言っていた食事の面倒、確かにちょっと見てもらいたいような気もしてしまう。
「いただきまーす」
 湯気の立つお椀を持って一口啜る――と。
「あれ……?」
 相変わらずおいしいお味噌汁は、けれど、ふとあのときと同じ違和感を浮かばせたのだった。
 豆腐とわかめと葱のお味噌汁。オルタのエミヤさんが作ってくれたものとは具材がまったく異なる。だけど、それ以上に違うものがあった。
「おや、お口に合わなかったかな?」
「あ、いえ! やっぱりエミヤさんのお味噌汁、おいしいです!」
「そうか、それはよかった」
 お茶を置きに来てくれたエミヤさんが微笑んでキッチンへ戻る。この人は本当に料理のこととなると嬉しそうに笑う。
「そっか、なんとなくわかっちゃった」
 図らずも飲み比べるような形になって、私は違和感の正体に気がついた。
 だし汁の味と香りが、違ったんだ。
 あのお味噌汁は、このエミヤさんのお出汁で作られていない。それもそのはず、オルタのエミヤさんが、こちらのエミヤさんのお出汁を気軽に使うわけもないのだから。
 となると、あれは、きっと、わざわざ。
「……本当に……おいしい」
 目の前のお味噌汁と、あのお味噌汁の両方に向かってつぶやく。
 全身に染み渡るその温かさは、どちらも甲乙つけがたいほどおいしい。そして――何よりも、ただ嬉しい。
 オルタと化して、例え見た目や考え方やお出汁の味が変わっても、生来の世話焼きはそうそう変わらなかったのかもしれない。そう思うと、途端にオルタのエミヤさんに親しみが湧いてくる。
「ごちそうさまでした!」
 お椀とお箸をそっと置いて手を合わせると、ちょうどエミヤさんがフルーツを持ってきてくれる。
 私は、デザート皿と入れ替えに空になったトレイを満足げに下げてくれるエミヤさんの広い背中を眺めながら、「料理を教わりたいサーヴァントが、またひとり増えてしまったなあ」などと考えて、フルーツを一つ、ぱくんと口に放り込んだ。
「――うん、おいしい!」

yum-yum :2017/06/12
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