「またお願いしまーす!」
 荷物を渡して、脱帽しながら深くお辞儀をする。閉まっていくドアの隙間には、待ちわびた荷物を受け取って嬉しそうな笑顔があった。
 私は、この瞬間がとても好きだ。送り主から色々な人の手を渡り、最後に受け取り手の元へ荷物を届ける。その達成感と幸福感は、疲れを一時どこかへと吹き飛ばすほどのものだった。
「……よし、次!」
 荷物を待つ人たちはたくさんいるし、人手は足りていないしで、時間なんて全然足りない。下りのエレベーターを待っている暇すら惜しくて、階段を二段飛ばしで駆け下りていく。
 最初は、この配送業の仕事は割がいいからと選んだものだった。当初、女には無理だ、どうせ長くは続かない。そう後ろ指を指されていたが、学生時代に鍛えた体力や社交性にはそれなりに自信があった。そのおかげか、うんざりするほどの量の荷物を捌いて、挨拶や会話を心がけて、毎日がむしゃらに働いているうちに、今では上客のいるエリアを任せてもらえるようになった。
 秋葉原の一部地域の担当となったのは、およそ二ヶ月強ほど前のこと。引継ぎもそこそこに任せられたこの場所は入り組んだ路地も多ければ、個性的なお客さんや荷物も多く、色々な意味で戸惑うことが多々あった。しかし、土地勘を得て、業務にも慣れてみれば、この活気のある街がすぐに好きになった。今では時折プライベートでも訪れている。
「ふう、この分で昼便は終わりかな」
 帽子を脱いで額の汗を拭う。トラックの荷台を開けて、キャスターつきのコンテナボックスに荷物を移し変えながら、ふと、その手を止めた。
「あれ……またこれだ……」
 さて、この区域に変わってから、これまで見たこともないショップ名をよく見かけるようになった。それも、ここ最近でやけに多くなっている。
 ショップの名前は、『堕天市場』という。ここからの荷物は、いつも決まって小さな小包で、そして、これを届ける場所はいつも同じ小洒落た大きな一軒家だった。
 その家は、チャイムを押すといつも決まって線の細い男性が出てくる。落ち着いた佇まいと、凪いだ湖畔のような声がひどく印象的な彼は、服装からしても執事の様子で、一体どちらがお客さんなのかと思うほどに折り目正しく礼をしてくれる。なので負けじとこちらも深々とお辞儀をするのだが、一度その私の様子をくす、と笑ったときの彼は、日頃の雰囲気よりも若く見えたのだった。
 ピンポーン。大きな家の中、チャイムが響いて広がっていく。いつもより反応が遅いのでお留守かなと、一旦荷物を持ち帰ろうとした途端、少し慌てた様子でインターホンの受話器が上がった――のではなく、直接ドアが開いた。
「あ、こんにちは! ご注文の商品をお届けしに参りました!」
 いつもと違うので驚いたが、ともかく帽子を脱ぎ、お辞儀をする。
「いつもみたいにこちらに印鑑を――、えっ?」
 顔を上げて、受け取り印をもらおうと一歩前に出ると、そこには――
「あーっと、印鑑が必要なのか……ソーリー、もうちょっと待っててくれ!」
 いや、今、とんでもない有名人がいた気がする。ううん、でも一瞬だったから見間違いかもしれないし、
「――ヘイガール、待たせて悪かったね」
 間違いない、メガキンだ。私が帰宅してからの密かな楽しみとしているメガチューブの人気動画投稿者のメガキンだ。チャンネル登録だってしてある。はっきり申しあげて大ファンだ。
「あっ……あのっ、い、いつもの人は?」
「いつもの……ああ、執事クンのことかい? 今ちょっと出かけてもらっててね、それで代わりに俺が出てきたってわけ。――印鑑、ここでいいかな?」
 メガキンは細い指で受領印欄をトントンと叩きながら、こちらを見て問いかけてくる。整えられた眉に、少し垂れ気味の綺麗な目を前にして、私は言葉を失った。かろうじて小刻みにうなずくことで、肯定の意を返す。
 私の声なき返答に、メガキンは「OK」と明るく言って押印した。
「それと」
 丁寧に捺された印鑑には『布施』と書いてある。メガキンの本名なのかもしれないなんて夢見心地で考えていると、突然軽く手を掴まれて、
「ここにも、な」
 と、私の、ちょうど仕事用に着けている手袋の、布のない部分。つまり手首のところへ、さっきと同じように細い指をツンツンとした後で、印鑑を押し当てた。
「執事クンのファンもいいけど、俺のこともヨロシク!」
 パチン、と指を鳴らして荷物を受け取り、ウインクをひとつ。
 あまりにも格好よすぎる行動に、私はあろうことか配送業者としての感謝も、ファンとしての一言もかけられないまま、メガキンが家に入っていくのをただ呆然と見つめていた。
 現実離れした出来事に、少しの間、魂が抜けていたと思う。ややあってから、ふと手首に視線を落とすと、そこにはまだひどくけたたましく打つ脈に震える『布施』の赤い文字があった。
「……ありがとうございます」
 またここに荷物を届ける機会があったなら、次こそ、お礼を言わなくては。そして次こそは、あなたのファンですって――もっと好きになりましたって伝えよう。
「仕事、がんばろ……」
 そのためにも、精一杯仕事をこなそう。私は一度だけ手首の『布施』に指を這わしてから、大きく深呼吸をして、トラックへと走り出した。

ファンサ! :2019/01/30
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