当サイト連載中の長編『Limelight』のifストーリーです




 あちこちで繰り返される規則的な明滅が、美しい夜景を創り上げる。
 珠閒瑠市の南に位置する鳴海区は、工事中の赤いランプを所々にちらつかせながら、それでも素晴らしい景色を浮かび上がらせていた。
 ここは、ホテルプレアデスの最上階。
 新設されたばかりのホテルの最高級ペントハウスは、360度の絶景を余すところ無く見せつける。拓けた視界に邪魔立てするものは何もない。ただ一つ邪魔をするとすれば、外界と部屋を遮るガラス窓に映る自身の顔だけだ。
 大きな窓に寄り添ったは、胸に溜め込んでいた息を細く長く吐き出す。きらめく夜景とともにガラス窓に溶け込む己へ微笑んでみたが、上手くは出来なかった。
 歪んだ笑顔は、ひどく嘲りを含んだように見えて、胸の奥底がずきりと痛んだ。
村上様」
「松岡さん……」
 不意に名を呼ばれ、ははっと顔を上げる。ガラスの反射で背後を確認すれば、そこには屈強な男が立っていた。
 彼は松岡と言い、南条の秘書だった。南条グループの表と裏を把握し、若き御曹司をサポートする辣腕の持ち主だ。
「何故、圭様とともに行かれなかったのですか」
 松岡はほぼ語尾を上げず、淡々と疑問を放った。
 そもそも、彼は合理的で寡黙な人間だ。唐突な質問に加え、全く予想外の内容に、は思わず押し黙る。
「圭様の行動も、次期総帥としての自覚に欠けており、褒められたものではない。しかし、三年前の事件が起因としているのならば、貴女とて圭様や桐島様と同じ行動を取ってもおかしくはないでしょう」
 松岡を介してこの部屋を借りているのは、日本でも有数のコンツェルンの時期総帥、南条圭。昔の同級生であり、今なお最高の仲間である彼は、つい先程外出したところだった。そして、南条とともに数人のペルソナ使いも戦場へと赴いていた。
 この松岡は、以前南条が従えていた執事の後を継いだ目付け役だ。セベク・スキャンダルの直後に任へ就いたこともあり、事件のことは深く理解していた。
 本来であれば、若き御曹司が危険にさらされることは、ましてや、南条の名が表に出るようなことは、可能な限り避けたい。だが、それでも三年前の事件のことや、主の意向を尊重した結果、現在起きている事件にかかわることを止む無しと判断したのだ。
 であるからして、彼には、関係者である彼女がここにいることを是とは思えなかった。
「では何故、貴女はここで立ち止まっておいでなのですか」
 問いは、再び淡々と響いた。さすがは南条圭の秘書と思わせるだけの冷静さと叱責が、静かに込められている。
 何故――。
 彼の言葉を反芻して、はやはり押し黙ったままでいた。



 仕立ての良い革靴が、無機質な床に小気味の良い音を響かせている。
 ペルソナ使いとして最高級の力を持つ男には、天野舞耶率いる数人のペルソナ使いが近づいていくることを察した。無論、一個人としても優れた知能を有する彼には、招かれざる客が訪れる時期にも察しはついていたのだが。
「ようやくお出ましか。随分と待ち侘びたよ」
 新生塾を率いる須藤竜蔵の秘書である彼は、神取鷹久。今は神条と名乗る、三年前に没したはずの男だった。
 一瞬足を止めて来客の兆しに微笑むと、目の動きを悟らせない漆黒のサングラスを指先で持ち上げる。再び前方へと歩みを寄せ、『JSM』と呼ばれるおぞましい機械のある部屋へと入っていく。
 彼は、この理学研究所と呼ばれる施設で研究を行いながら、その者たちが辿り着くのを待っていたのだ。
 常軌を逸した実験を幾度も繰り返す程度には、長い時間があった。
「父上の献上した施設で、非道な実験が行われている。さぞかし激昂するだろうな、南条君」
 JSMの試験管に目をやりつつ、君の成長を見るのは楽しみだ、と独りごちる。
 ただ、遂げられた成長を見たい内の一人が欠けていることを感じ取り、サングラスの下、虚無を宿す双眸が細められた。
「なるほど、来ることを拒んだか。それとも、ご友人の制止を甘受でもしたか……」
 それは三年前、己を打ち倒した若人の一人だった。
 彼女は、あのセベク・スキャンダルよりも前から縁のあった少女だ。神取にとってひどく青臭い話ではあったが、非常にささやかながらも心を通わせた数少ない人間だった。
「だが、見て見ぬ振りを決め込むことなど出来まい」
 だからこそ、分かる。
 その白い手で奪い取ったこの命に、業を感じていないはずがないのだ。
「お前は因果の糸に絡め取られているのだからな。何より、そういう資性の持ち主だ。そうだろう、
 まるで旧知を語るかのごとく、口ぶりには懐古の念すら浮かばせる。
 三年前のあの日、野望を打ち砕かれてなお、神取には自負があった。誰よりも彼女の心を理解しているという、傲慢な自負が。
 彼女は――村上は、必ず、会いに来る。
「さあ、見せてもらおうか。再び、運命や矛盾に抗う様を」
 愉しむように吐き出されたのは、神条久鷹としてではなく、神取鷹久としての言葉。それは、ただ一人に向けられたものだった。



 村上は一人、理学研究所へと走っていた。
「――貴女は、自らを偽善者とお思いですか」
 あの後、松岡は唐突に切り出した。返答に困る少女を、ひたすら糾弾するようにまんじりと眺める。
 は、まだ窓の外を見ている風を装い、そっと視線を遠くに向けた。
「偽善……」
 ガラス越しに映るのは、自分のペルソナ。三年前のあの日、彼の命を奪ったペルソナだった。
「そう、ですね。偽善者だと思います」
 自らの手で殺めたはずの神取鷹久が、生きている。
 南条から知らせを受けたとき、は安堵にも似た絶望を感じていた。
 この世で一番憎まねばならない相手であり、恩人に近い相手でもあった。その死に顔を忘れられた夜など、一夜として無かった。
 生きているのならば、まるで自分の罪が赦されたような気さえ覚えた。だが逆に、彼の口から罪を突きつけられることが恐ろしくて仕方ない。
 本当に彼が蘇ったとしたならば、冷たい声色で自分を責めさいなむだろう。
 仲間の誰よりも彼を理解しているだからこそ、彼の生死を確かめることにためらいを覚えていた。
「偽りでも善でありたいと思う、自分勝手な――偽悪者を殺した、偽善者」
 偽悪者。神取をそう表現して、は自分の胸が軋むのを感じた。
 彼を殺してしまった事実から目を背けたい。けれども、仲間とともに掴んだ勝利や、勝ち得た平和や誇りを、決して無かったことにはしたくない。
 だが、それは平和や矜持を盾に正当化しただけで、彼を殺めた罪そのものは消えはしない。
 気持ちがめまぐるしく暴れて、答えが見つからなかった。だから、南条たちと同行することを避けた。
 おそらく聡明な南条は、その葛藤に気付いていたのだろう。適当な理由をつけ、松岡に彼女の無事を託して、ここで待機するよう言った。
「今からでも遅くはありません。貴女はここで待つべきではない」
 迷うに、松岡が告げる。
 それは、主人の指示に背く行いだったが、彼は毅然としていた。
 あまりに断々然とした語調に、ついには振り返り、真正面から対峙する。
「貴女の思う偽善が偽りかどうかの答えは、ここでは得られません。行って、ご自身の目でお確かめなさい」
 彼の顔が不意にそらされ、北東を向く。
 このペントハウスの中から何を見たのか、聞くまでもない。理学研究所がある方角だった。
「知るべき真相は、人づてなどで得られるものではありません」
 この、あまり感情を悟らせない寡黙な男の配慮に、は初めて気がついた。
 おそらく、こうして南条のことも正しい道へ導いてきたのだろう。前任の執事とはまた異なった、厳しくも優しい人柄だった。
「……私、もう、逃げません。行ってきます」
 しっかりと頷いた姿を見て、松岡はわずかに眼差しを和らげる。
 刹那のことだったが、には分かった。表情を崩さない彼が、ほんの一瞬だけ垣間見せた笑顔だった。
「あ、でも、南条くんに悪いかな……」
 つられて微笑みかけたが、すぐに南条の指示や心遣いを思い出した。眉尻を下げ、困惑した顔を浮かべたに、松岡が首を横に振って見せる。
「この場のことでしたら、心配は無用です。圭様には、私が叱責を受けましょう」
「松岡さん、ありがとうございます」
「いいえ。村上様、くれぐれもお気をつけて」
 その言葉を聞いて微笑むと、は最後にもう一度だけ、窓の景色に目を向ける。いささかいぶかしげに目を細めた松岡に再度礼を言うやいなや、ホテルを後にした。
「ここが、理学研究所――」
 動かし続けてきた足を一旦止め、夜にたたずむ無機質な建物を見上げる。
 簡素な看板と、厳重な門扉が不釣合いな建物だった。
 門の前に立ってみると、中にいる南条たちのペルソナを感じられた。加えて、園村麻希と城戸玲司も駆け付けていたらしく、その存在も感じ取った。にとっては予想外で、少し複雑な気持ちになる。
 二人がここにいることを、彼なら因果だと笑うのだろう。そう考えたとき、ついに神取のペルソナと共鳴した。
 彼女には、分かる。
 あの、皮肉と虚無を孕んだ顔で、彼が微笑っている。暗い、暗い闇へと、手招きして導いている。
 侵入を拒む門を軽々と乗り越え、着地と同時に、前を――彼を、強く見据えて、駆け出す。
「もう、逃げない」
 決意の滲んだ呟きは、きな臭さのはびこる夜の闇へと、静かに溶けて消えた。



 間断なく続いていたキーボードを叩く音が、ふと止まる。
 ペントハウスの一人掛けソファに腰掛けた松岡は、やや眉間に皺を寄せると、窓へと視線を遣った。少なからず、先刻送り出した少女の無事が気がかりだった。
 松岡は、少女が自らの主人の学友であり、特別な仲間のうちの一人だと知っていた。だからだろう、迷うあまりに歩みを止めている姿を見かねた。
 彼女が理学研究所に行くことで、主人が危機に瀕するのでは、ということも危惧している。一方で、大事な仲間に対し、過去から目を逸らさせた主人の行動にも、いささかの青さを覚えた。
 区切りの良いところまで作業を終え、端末を閉じる。夜独特の静けさが広がる中、松岡は部屋の窓辺に立った。
 先程、少女がしていたように、鳴海区の夜景を見下ろす。
 立ち向かうべきは己自身の闇であると、主人はよく理解しているはずだった。危険や制止を振り切ってでも、彼はそれを行動で示そうとしている。ならば、あの少女を闇から守り、光へ導いてやるのも、彼の務めであり、ひいては彼のためでもあるはずだった。
 そして、主人である南条圭を光へ導くのは、松岡の役目だと自覚している。先代の目付け役から継いだ、大事な役割だった。
「光、か」
 深い息と言葉を同時に吐き出し、一度かぶりを振る。表情には、いつもと同じく何も浮かべてはいない。
 何を光とするかは、彼ら自身が決めることだ。主人が決めたことならば、南条グループの存在そのものを大きく脅かすことでなければ、いつでも影となって支え、付き従う覚悟が松岡にはあった。
 いま一度、窓の外を眺める。オレンジ色の電光が、暗闇に水平線を描き出している。
 先程、少女は最後に何を見たのだろうか。
 いずれ問うてみるのも一興かと考え、鋭い瞳を閉じれば、心持ち穏やかな表情がそこにはあった。
「……ご武運と、ご幸運を」
 小さいが、確かに祈りの言葉を夜に捧げる。そうして次に目を開けたとき、常の松岡に戻っていた。
「三島、山井、私は外出する。ここを任せたぞ」
 部下へ手短に告げた松岡は、ジャケットを手に取り、部屋を出る。
 その背で、海を照らす電光は明滅を繰り返し、闇に一筋の光をもたらしていた。

夜に溶ける :2013/03/19
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