魔導の力を持つ少女/ティナ・ブランフォード
かし、という音を立てて、野花を摘む。
こうして花を摘むことを、手折る、とも表現するのだそうだ。
女性を手に入れるときにもそう言う、と自慢げな顔で言ったセッツァーの脇腹をエドガーが肘で小突き、ロックが後頭部を軽く叩いていたことを、ふと思い出す。ただ、そもそもセッツァーの言葉の意味がわからずに目を丸くしていると、エドガーとロックが「君はわからなくていいんだよ」と言ったので、ティナは素直にこくりとうなずいたのだった。
モブリズの裏、荒れた大地でもう枯れかけた野花を、一輪、また一輪と、かさ、さり、という乾いた音とともに手折っていく。
女性を手折る、とは、ディーンとカタリーナが愛し合うこととは違うのだろうか。手に入れるというからには、あやつりの輪のようなものが必要なのだろうか。
世界崩壊から数ヶ月。モブリズに辿り着いたティナは、子どもたちに必要とされていた。何を与えてあげればいいのかわからないまま、世界は少しずつ破壊されていっている。それでもこうして枯れかけた花を摘んでは持ち帰り、水に挿してやれば、子どもたちは笑顔を見せた。
あのとき帝国の兵士を惨たらしく焼き払ったこの手でも、子どもを喜ばせることはできるのだと知った。
だがティナにはまだ、愛し方も、愛の与え方も、受け取り方も、愛の種類も、何もわからなかった。自分が父と母の愛の上に成り立った命だとしても、愛する心を理解するのは難しかった。
美しい指で優しく摘んだ花こそ、その想いこそが愛情のひとひらだと知るのは、まだ先のことだ。
トレジャーハンター/ロック・コール
元はそれなりに立派なものだったのだろう。経年劣化や風化で脆くなった上、煤けきった状態の箱に息を吹きかけると、木屑と土埃が宙へと派手に舞った。
悪くなった視界が少し落ち着いてきたところで、ロックは逸らしていた顔を正面へと戻した。まだ辺りを漂う埃にしかめっ面を浮かべながら、革手袋のついた手で箱の上部を軽く払う。そこでようやく、過去の栄華の名残らしき箱の装飾がお目見えした。
もう一度顔を横に逸らし、ケホ、と咳き込む。やや幼いその横顔に、宝を前にした高揚感はひとつもなかった。
「さあて、お宝拝見といくか!」
軽らかな掛け声が、裏腹の表情をより際立たせている。その深刻な眼差しは箱の蓋に手をかけてもなお続き、中身を目にしたときですら――否、かえって中身を見た瞬間の方が、一層深く沈んだ色を浮かべた。
「まっ、こんなもんだろ」
やはり軽快な声音で言い、宝箱を帆布袋へぞんざいに仕舞い込む。中身はそれなりに価値のあるものだったが、帰り道の足取りは往路と大差がなかった。
かつて隣にいた恋人のレイチェルは、どんな宝箱でも蓋を開けるときには綺麗な瞳を一層輝かせた。例え中身がどんなにささやかなものでも、その愛らしい顔に笑顔を咲かせて喜んだ。それが、どれほど愛おしかったことか。
ロックにとっての宝は、嘘偽りなくレイチェルだった。
だから――彼女を喪ってからは、どんな宝にも価値を抱けない。彼女が横にいなくては、何の意味もないのだ。
かくてトレジャーハンターは往く。死んだ恋人を蘇らせる伝説の秘宝を、手に入れるために。
常勝将軍/セリス・シェール
「――薔薇に棘あり、だな」
むき出しの金属で造られた魔導研究所の通路は、足音を高く打ち返す。その無機質な高音と周囲の機械音に隠して自身に向けられたノイズを、鼓膜は正しく拾い上げた。しかしセリスは表情を微動だにさせず、カツ、カツ、とヒールを鳴らし続けた。
そのまま魔導研究所の外へ出て、機械音から離れていく。その足ですぐ近くの温室へ向かうと、シド博士が笑顔で出迎えた。
「おお、セリスか」
「研究所にいなかったから、こっちかと思って」
名実ともに常勝将軍となったセリスだが、今なお、若い女というだけでそしりを受ける。今となっては弱い男の遠吠えなど聞こえないと一蹴もできるが、まだ将軍になりたての頃には、聞こえよがしに投げかけられる悪口の一つ一つに胸を痛めていた。
そんなセリスにとって、この場所は特別だった。
この温室は、シドが管理している。彼は、英才教育を施されてきたセリスが長く関わってきて、信頼のできる大人だ。そして何より、ここには花が――彼女の好きな薔薇が咲いている。流れる時間は緩やかで、ここでだけは心落ち着けることができた。
挨拶を済ませたセリスは、シドが、孫娘のように可愛がる少女の名をつけた薔薇の前に立つ。
「今日も『セリス』は綺麗じゃよ。お前さんと一緒での」
くしゃりと微笑むシドは、博士としての顔ではなく、家族のそれのように穏やかだ。
セリスはわずかに頬を染め、花の香りを嗅ぐ。棘のない『セリス』に触れる美しい彼女の横顔もまた、将軍としてではなく、一人の少女としての微笑みが浮かんでいた。
砂漠の王様/エドガー・ロニ・フィガロ
砂漠の国フィガロは、最高会議の真っ最中だった。否、最高会議という名の、保身のための話し合い、と言っていいだろう。
フィガロ国を治めるエドガーは、目を閉じて楕円型の机の議長席に座っていた。両肘を机に置き、両手を組んだ姿勢で、ただ黙ったまま老いさらばえた声のやりとりを聞いている。隣にいる大臣もまた、枢機卿たちや各庁長官、評議会の議長など、大層な顔ぶれを前に口を閉ざしている。
きっかけは、ガストラ帝国の『魔導の少女』――ティナを、反帝国組織リターナーの一員であるロックがこの国に連れて来たことだ。エドガーは帝国の同盟国として彼女を保護したが、その実、帝国からの使者にはしらを切った。当然ながら帝国側は激怒して一旦フィガロ城を後にし、おそらくは同盟という関係性も壊れることとなるだろう。
かくして、この最高会議が緊急で開かれることとなったのだが、楕円に沿って座る古老方は、揃いも揃って帝国にへつらう方針ばかりを唱えた。
「……くだらないな」
目を伏せたまま、組んでいた自らの手に呟きを落とす。
「何か言われましたかな、エドガー様」
枢機卿の一人が、これまで沈黙を貫いてきたエドガーの小声を耳ざとく聞きつけた。この会議は、議長席に座っている若き王が、帝国に謝罪することを決断すれば、それで済むのだ。老いた声にも、それに続く各人の視線にも、多大な期待が込められていた。
「くだらないと申しあげたのですよ、大司教殿」
エドガーはそこでようやく蒼眼を開き、毅然と言い放つ。すると、場を支配していた声や空気が一転した。
「私は、反組織リターナー本部へと赴く。――城の潜行準備を」
隣へ鋭く視線を走らせる。黙したままだった大臣もまた、士気を漲らせた表情で強く頷いた。
命や立場を守るため、国の存続させるためだけの保身など、もう必要ないのだ。国を、民を、父の誇りや母の愛を守り――弟の帰る場所を守るため。避ける気などない戦いに向け、凛々しき賢王は椅子を鳴らして立ち上がった。
優しい双子の弟/マッシュ・レネ・フィガロ
世界に光が戻った後、かつてフィガロ城を出て行ったマッシュの帰還を喜ばぬ者はいなかった。王族としての扱いには慣れない様子を見せながらも、マッシュ本人も久方ぶりの生家を喜んだ。だが、数日も経たぬうちに、その大きな身体が落ち着かない素振りを見せ始めた。それに真っ先に気がついたエドガーが尋ねると、マッシュは落ち込んだ様子で、ただ一言、「コルツ山へ行きたいんだ」と零した。
マッシュは理由を言わなかった。エドガーもまた、問い詰めはしなかった。ただ双子の兄として、「行こう」と言った。
その日のうちに大臣を説き伏せ、セッツァーを呼び、翌早朝にはコルツ山へ向かった。――正確には、一年と少し前の世界崩壊の際にコルツ山擁するサーベル山脈自体も崩壊してしまったため、上空から目的地を探すところから始めたのだが。
ともあれ、エドガーによる元の場所と地形の変化から成る緻密な計算に基づく予想と、飛空艇のキャプテンであるセッツァーの正確な操縦と、長年コルツ山で修行をしてきたマッシュの経験とが見事に合わさり、ものの二日で目的地の発見に至ったのだった。
そうして双子によるコルツ山の登山が開始されたのだが、当然ながら、山の元の形状は保たれてはいなかった。しかし、マッシュは迷いのない足取りで山奥を進んでいき――ふと、その足を止めた。
「マッシュ、ここは……」
エドガーにも、そこは見覚えのある場所だった。忘れもしない、もはや会うことすらないだろうと思っていた実の弟との再会を果たした場所だったのだから。
「ティナやロックと出会った場所、兄貴と再会した場所。それから」
話しながらマッシュは近くの山肌に手を伸ばし、少しの沈黙を挟み、
「――俺が、バルガスを殺した場所だ」
そう、絞り出すように言った。
それでようやくエドガーにも得心が行った。
マッシュは、師のダンカンを殺した兄弟子バルガスを、ここで討った。しかし、エドガーには詳しい事情はわからなかったが、後になって師が生きていることを知ったのだった。
ならば、何のためにバルガスを殺したのか――、と。
おそらく、マッシュはその後悔と疑問をずっと胸に持ち続けていたのだろう。
「……墓を作ろう、マッシュ」
エドガーは自らと同じ顔の男をまっすぐに見つめ、静かに言う。
筋骨隆々の肉体の内に、誰よりも繊細な心を抱えるマッシュは、少し泣きそうな顔で兄に視線を返し、唇を噛んで頷いた。
世界最速の男/セッツァー・ギャッビアーニ
ティナと初めて会ったときのことを、セッツァーはよく覚えている。
ブラックジャック号で世界各地を飛んでいれば、モンスターを見かけることも多くあった。セッツァーの知るモンスターは、あくまでも動物が凶暴化した、という認識だ。しかし、ゾゾのビルの一室、ベッド上で苦しげに呻いていたティナは――事情は聞いてはいても、実際に彼女を目にして、正直化け物だと思ったものだった。
今ならば、それがトランス状態だとわかる。だが、当時のセッツァーはそもそも変身前の彼女を知らない。まるでミシディアウサギの耳の内側みたいな色の全身をして、髪や耳、手や足など、あらゆる部分が人のそれとは違う生き物を、異形だ、と、そう思った。
ただ、恐ろしいと感じなかったことも、よく覚えていた。
主を失った瓦礫の塔は、完全崩壊を目前にしている。
いち早くファルコン号に乗り込んだセッツァーは、重要な機関の確認だけを済まし、仲間を迎え入れながらエンジンを稼動させた。覚悟を決めた一人の暗殺者だけを残し、それ以外の全員の搭乗を確認すると、最初からエンジン全開で飛ばす。
崩れ落ちる瓦礫の中、ティナは、セッツァーが初めて出会ったときのあの姿でファルコン号を先導する。
三闘神の力が消えた世界では、ティナがトランス状態を維持するのは難しい。それでも、彼女は最後の力を振り絞って、飛んだ。
その姿は、不思議なほど儚く、そして美しかった。
セッツァーは、ティナのその姿だけを追った。仲間が助かることだけを信じて、脇目も振らずにフルスロットルで追いかけた。
それはおそらく――あの日帰らぬ人となった友と同じく、否、それよりも速く。
「ティナ、もういいわ! あなたの力は、もう……!」
セリスが船首で手を伸ばす。その先で、幻獣の力とともに推進力を失って落ちていくティナと、瓦礫の隙間の青空が見えている。
これが最後だとセッツァーは歯を食いしばり、限界の、さらに限界を超えていく。
そして、ファルコン号はティナを確かに受け止め――大空へと飛び出た。
「ありがとう、セッツァー……」
甲板に歓声が満ちる中、まるで朝日を浴びる草原のような髪を棚引かせて、ティナが微笑む。
セッツァーは彼女に向かってコインを一度弾いて見せてから、口角を持ち上げた。
「言ったろ? こいつは、」
なあ
「――世界最速の船だって」
非情なる暗殺者/シャドウ
目の前に差し出されたのは、手のひらに乗せられた100ギル。元々寡黙な暗殺者はさらに輪をかけて沈黙を保ち、それを眺めていた。だが、しばらく経っても、相手はその姿勢のままで何も言わない。あくまでも面倒になったという意味で根負けし、嘆息とともに、マスクの下の重たい口を開いた。
「……何の真似だ?」
眼前の100ギルと手の持ち主の方も、はあ、と一度大きな息をついた。
「リルム、みんなの絵を描いてるの。それで、あと残ったのはあんただけ。だから描かせてよ」
幼い少女にしてはやけに大人びた口調で、リルムは小首を傾げて言う。
「俺を、か? 断る」
どこの暗殺者が、好き好んで似顔絵を描かせるというのだろうか。シャドウは鼻で笑ってみせたが、彼女は平たい胸を張って、猫のような瞳にますます大人の女のような強気さを浮かべる。
「そう言うと思って、このお金を持ってきたんだよ。ほーしゅーさえ払えば何だってやってくれるんでしょ? だから、これ、モデル代」
「――断る」
「え~っ、なんでよ! 描かせてくれたっていいじゃない、ケチ!」
無下に断ったところで、リルムはようやく年相応の子どもらしく頬を膨らませた。手にしていた硬貨をぎゅっと握り締め、先ほどとは違う気の強さを漂わせる。
傍らに伏せていた犬のインターセプターが、彼女の雰囲気が変わったことを鋭敏に察して立ち上がる。飼い主にはほとんど聞かせたことのない声で鳴きながら、幼く細い脚へすり寄った。そのままリルムの隣に座り込み、こちらを見上げる。
「なあシャドウ、子どもの頼みごとだぞ? 色々な手伝いをして、小遣いを稼いで、それで依頼してるんだ。聞いてやったらどうだ?」
近くで話を聞いていたらしいマッシュが助け舟を出した。
シャドウはなるほど、と納得する。依頼料を持って来させたのは、どうやら彼の手引きらしい。だがしかし、インターセプターといい、マッシュといい、少し泣きそうな顔をしているリルムといい、どうにも相手が悪いようだ。
「インターセプターでも描くんだな。……俺はその横にいる、好きにしろ」
それが最大の譲歩だった。観念した途端、「おっ、やったな!」などとマッシュがリルムの背を軽く叩き、彼女も心底嬉しそうな笑顔を咲かせた。
「えへへ、じゃあ、これモデル代ね!」
シャドウにはそれがひどく眩しくて、少しごまかすようにしてリルムの手から100ギルを受け取ろうと手を伸ばす。だが、その手の小ささも、あたたかさも――愛おしさも。非情な暗殺者の胸を強く締め付けたのだった。
ピクトマンサー/リルム・アローニィ
サマサの村にいる少女は、幼い頃から絵を描くことが好きだった。
かつての出来事から、閉鎖的、排他的にならざるを得なかったその村には娯楽が少なかったが、彼女には絵があった。
最初はクレヨンで。上達してからは絵筆を用いて。真っ白な紙に色を置けば、世界は楽しさに満ちた。何よりも、母が褒めてくれた。わあ、すごく綺麗ね。とっても素敵ね。あなたは本当にお絵描きが上手ね。そうやっていつも手を叩いて笑って喜んでくれた。だから、紙と筆があれば、それは少女にとって何にも勝る娯楽だったのだ。
齢をやや重ね、少女は今も変わらず絵を描き続けている。十歳という幼さでありながら才能も技術も情熱も持ち合わせた彼女は、その身に流れる魔導士の力と合わせることによって新たな術を編み出した。任意の相手の似顔絵を魔力を込めて描くことで、絵を実体化させる。現し身となったその絵は、描き手である少女の意のままに動くという、他に類を見ない術だった。
だから少女は、何度となく試そうとしたのだ。――幼い頃に亡くなってしまった母を、この世に実体化させる、ということを。
だが、哀しいことに、別れが早すぎた彼女には、母の顔を完全には思い出すことができなかった。
優しく笑いかけてくれた母の面影は、ちゃんと心が覚えている。けれど不確かな記憶では、筆で確かな輪郭をなぞらせることができなかった。
もう一度、母に抱きしめてほしかった。頭を撫でて、笑いかけてほしかった。たった一度でいい、もう一度だけでいいから、絵を褒めてほしかった。
リルムは、本当にお絵描きが上手ね――と。
「ママ……ママぁ……」
机に突っ伏した少女のまなじりからこぼれた涙が、紙に描かれた顔のない女性を滲ませていく。
家族を失った少女の後見人である老人は、その姿に複雑な表情を浮かべた。そうしてから、持ってきた毛布を肩へと静かにかけてやった。
せめて夢でくらいは母親と会えるように、そっと祈りながら。
絶望を秘める侍/カイエン・ガラモンド
ドマの河川を穢し、ドマ城を地獄に変貌させた毒の脅威は、凄まじいものだった。
かの毒は、直接の摂取や接触に関わらず、皮膚からの吸収によって神経に作用する類のもので、全てを奪われた怒りに我を忘れて帝国軍陣地に飛び込んだことは、不幸中の幸いだったのだと言う。毒性の強さを考えて、あの場にい続ければ曝露は避けられず、他の被害者と同じ末路を辿っていただろう、と。博識なエドガーは、毒について訊ねてきたカイエンに対し、そう答えた。
世界が引き裂かれた後、独りになったカイエンは、枯れた大地を這う空風に身を晒しながら、ふとそのときのことを思い出し、ああ自分は死にそびれたのだと思った。
あれほど強い毒だったというのに、家族とともに死ぬことができなかった。復讐のために乗り込んだ敵国陣地で戦死することができなかった。死者の魂を運ぶという魔列車からも降りてしまった。飛空艇から落ちたというのに、世界は破滅に向かっているというのに――自分はまだ、生き長らえている。
これまでにも、生き残ってしまった、という気持ちはあった。孤独が押し寄せ、その度に、いいや仲間たちはまだ生きているはずだ、いいや討つべき仇敵がまだ生きているではないかと自分に言い聞かせ、己を奮い立たせてきた。
それでも心は少しずつ摩耗し、絶望に毒されていく。
日に日に悲しみを募らせていっていたカイエンは、不意にマランダの町にいたローラという女性のことを思い出した。
恋人からの手紙を待ち続けていた彼女は、無事だろうか。恋人である負傷兵がいたモブリズの村は、既に崩壊していると伝え聞いた。あの兵士は、手紙の返事を書くことすらできない容態だったのだ。崩壊の余波から免れているとは思いづらい。愛しい者に先立たれたのだとすれば、彼女は何を糧に、この地獄を生きているのだろうか。
もしも彼女が生きていて、まだ恋人からの手紙を待ち続けているのなら、情けなく生き残ってしまったこの身でも、彼女の心を――自分と同じように毒されていく心を、どうにかして安らげてやることくらいはできるのではないか。
希望の欠如は、心の毒だ。ドマを侵した毒は、形を変えて今なお世界に蔓延っている。
カイエンは鬢付け油を撫で付けた髪を紐で強く結うと、マランダへ向けて迷いなく旅立っていった。今度こそ、この手は何かを守るのだと、決意を固めて。
生き残りの魔導士/ストラゴス・マゴス
ここは、魔導士の生き残りが隠れ住んだサマサの村――“だった”。
世界から三闘神の力が失われたことにより、サマサの村人たちからも魔導の力が消えた。それからは少しずつ一般的な暮らしができるようになり、大昔に行われた魔導士狩りの影響で閉鎖的だった村は、徐々に他の村や国との交流を行い、時折訪れる旅人たちに対しても、以前のような冷たい対応を取ることも無くなってきたのだった。
ただ、愛想の悪かった宿屋に宿泊客の姿が見られ始めると、サマサの村人たちは酒を飲む場所に困る夜が増えた。
今宵も、そんな夜である。
深夜、ストラゴスは一人、自分の家で酒を飲んでいた。本来なら宿屋で村長や村人たちと飲んだりするのだが、宿泊客がいるとなるとそうもいかない。それでも今夜ばかりは飲みたい理由があった。手酌をしては酒を飲み、もうずいぶんと酩酊状態にある。おそらく明日の朝には、リルムに「こらジジイ! まーた飲みすぎたなー!」などと叱られるのだろう。それもまた、今のストラゴスにとっては楽しみだった。
そこへ、リルムの部屋で眠っていたインターセプターが入ってきて、ストラゴスの隣に立った。
「おお、インターセプターか。腹が減ってはおらんか?」
ふるりと首を横に振るような仕草をして、インターセプターはその場に伏せる。
前の飼い主いわく他人には懐かないという犬だったが、不思議と最初からリルムとは仲良くしており、引き取ってからは世話をするストラゴスにも少しずつ懐くようになった。近頃では、村の子どもたちに頭を撫でさせることもあるほどだ。
「インターセプター。わしとリルムは、実は血が繋がっていなくての……」
話し相手がほしかったのか、ストラゴスは語り始める。
「それでも……わしにとってはのう……あの娘は家族で、何より大事な孫なんじゃ」
酔いに加えて眠気も含まれているのだろう、口調はやや間延びしてぼんやりとしている。
「もちろん……お前さんも、大事な家族じゃゾイ」
老いた手が伸びてきて、インターセプターの頭を撫でる。リルムの幼い頃からずっとしてきた撫で方は、慈しみのこめられた優しいものだ。くぅん、と鼻を鳴らして尻尾を振る。
「これからも、よろしく……頼む……ゾイ……」
しばらくすると撫でている手から力が抜けて、頭上からいびきが聞こえてきた。インターセプターはテーブルの周囲をグルグルと駆け回ったが、ストラゴスは目を覚ましそうにない。どうしようかと悩んだ末、ともに寝ようと元の場所で座る。
ストラゴスと同じ方向に座ると、家の壁がよく見えた。
そこには昼間にリルムが描き上げたばかりの、ストラゴスの似顔絵が掛けられていて――名犬は、それをしばし眺めた後で、そっと瞼を伏せたのだった。
野生児/ガウ
ガウは、野生児だ。
赤ん坊の頃に獣ヶ原に捨てられて以来、モンスターの中で育ってきた。人間の文明とはまったく異なる自然界において、衣服は必要ない。つまるところ当然ながら、彼にも服を着る、という習慣はなかった。ある程度成長をして、自分と同じ姿形の生き物がいるモブリズの村に足を運んだ際、服を着ていないことで村はちょっとした騒ぎになった。それからは獣の毛皮で作った腰巻を着用しているが、基本的に彼は洋服が嫌いだった。
仲間と旅をするようになってからも、防具を着せられそうになったときには逃げ出した。ナルシェの寒さの中でも防寒具を着ることを拒んだ。
ただ一度、一度だけ。生き別れた父親と会うときだけ、仲間たちが選んでくれた服を着た。
そのときのことを思い出すと、これまでに感じたことのない複雑な気持ちになる。父親が生きていたことが嬉しかったこと、父親に拒まれたことが悲しかったこと、その父親に怒ってくれる仲間がいて嬉しかったこと――それから、初めて袖を通した正装が窮屈だったこと。
けれど、ガウはそのときに、あるひとつのことを学んだのだった。
ケフカを討ち果たした後、ガウは獣ヶ原に帰った。色々な仲間がともに生活をしようと誘ってくれたが、人間らしい生活ではなく、育った獣ヶ原で暮らすことを選んだ。
そんな彼を、カイエンはよく気にかけた。今は亡き息子と年頃が近かったこともあり、ドマ復興を目指して尽力する暇を見つけては、まめに会いに来た。ガウも仲間の中で最初に出会ったカイエンには特別懐いており、父性に満ちた彼の訪れを喜んだ。
「ガウ殿、今、何と申されたか?」
ある日、同じようにカイエンが干し肉を手土産にガウを訪れ、何かほしいものはないかと訊ねたところ、彼はしばらく悩んだ後に、服、と言った。
「ガウ、ふく、ほしい」
聞き間違いだろうかと聞き直すと、ガウはやはり真剣な顔をして答える。
「おやじ、あったとき、ガウ、きた、ふく」
最初に会ったときに比べて、ガウの口から出てくる単語が増えた。カイエンが訪問のたびに少しずつ教えている成果なのだが、今はその喜びよりも驚きの方が勝っている。彼の洋服嫌いは、仲間ならよく知っていることだ。そのガウが、自分から服がほしいと言ったのだから、目も丸くなるというものだ。
「お父上に会ったときの服となると……ふむ、洋装、ということでござるな……。しかしなにゆえ、突然そのようなものを?」
その質問に、ガウはにかっと歯を見せて笑いながら即答した。
「ガウ、フィガロ、いく!」
あのとき、初めて洋服に袖を通したガウが学んだことは――大切な人に会いに行くときには、きちんとした服を着る、ということだった。
「マッシュ殿に会いに行きたいのでござるな? そういうことなら任されよ! 拙者が責任を持って服を調達し、フィガロへ連れて行くでござるよ!」
マッシュが驚く顔も、とても喜ぶ顔も、目に浮かぶようだ。カイエンは何度も大きくうなずきながら、幸せそうに口元を綻ばせた。
雪男とモーグリ/モグ&ウーマロ
炭鉱都市ナルシェには、昔から恐ろしい雪男の言い伝えがあった。
身の丈は人よりも大きく、唸り声は雪崩を起こし、性格は獰猛で、その力は岩をも砕く――。ナルシェの子どもたちは、その雪男を恐れて雪山へ入らないのだと言う。
それとは別で、炭鉱の奥にはモーグリ族が住むという噂も多かった。見た目の愛らしさや、住まう土地の力を扱うという言い伝えもあって、彼らは精霊とも妖精とも言われる。ナルシェの子どもたちはそんなモーグリ族を一目見たいと願っているが、そのためには雪男の恐怖と戦わねばならないのだった。
そんなナルシェは、世界崩壊後、増加したモンスターによってゴーストタウンとなった。元々厳しい気候の中、確固とした自治で成り立っていた中立都市だ。ましてや混沌とした世界情勢では、外部から立ち寄る者などほぼおらず、知らぬうちにひっそりとナルシェという自治都市は壊滅した。
世界崩壊から一年――そして、人知れず世界が救われてから数週間。ナルシェに、不思議なことが起こった。
ナルシェにはどうやって生き長らえていたのか、二人ほど市民が残っていたが、そのうちの一人、武器屋の男が妙な物音を耳にした。それは、ザッ、ザッ、という、何かの軍勢が押し寄せてきたような多数の足音だった。
民家に閉じこもっていた彼には、世界が救われたことを知る術はない。ゆえに、ああモンスターが軍を率いてやってきたのだ、今度こそナルシェは終わりだと観念した。だが妙なことに、いつまで経ってもモンスターは家に攻め込んでこない。それどころか、外では何やら戦っているらしき音があちこちから聞こえてくるというのに、自身や家が巻き込まれる雰囲気すらない。
男は、恐る恐る窓の外を覗いた。
そこには、数十――否、百あまりのモーグリ族が、棲みついていたモンスターを退治していく姿があった。
一体、また一体とナルシェにいたモンスターが倒れていく。
男は矢も盾もたまらなくなって、上着も持たずに玄関を飛び出した。そして、吹雪の中、勇ましく炭鉱へ向かって行軍していくモーグリ族を見た。
先頭に立つのは、リーダー格らしく槍を掲げるモーグリと、そのモーグリよりも二回り以上大きな体躯を持った雪男だった。
「ボクたちのナルシェを取り戻すクポー! ウーマロ、いくクポー!」
「ウガー!」
愛らしくも頼もしい軍勢が炭鉱奥に消えて行くと、ナルシェにはそれきり平和が訪れた。そうして近い将来、フィガロ国の支援によって復興を果たすのだが――復興したナルシェの町には、雪男とモーグリ族の勇敢な戦いが伝えられ、彼らはいつしかナルシェの守り神として語り継がれることになったのだった。
ものまね士との出会い/ゴゴ
艇内を、布の塊が歩いている――ロックは、そう思った。
崩壊をきっかけに、世界の地形はまったく姿を変えてしまった。中でも、ガウがおにぎりだと喜んでいた小三角島もずいぶんと場所を移動し、崩壊前にはいなかった未知のモンスターが生息しているという噂を耳にした。
そこで、少数編成で調査をすることになったのだが、飛空艇から降りてすぐに彼らはゾーンイーターという奇妙なモンスターと遭遇。戦闘中に、全員が吸い込まれてしまった。それを目撃したロックは、至急エドガーと救出作戦を練っていたのだが、その間に仲間が全員戻ってきたという。報告を受け、慌てて乗り口へ向かう途中の通路で、“それ”を見かけたのだ。
大きさから言って、ガウが布を被って遊んでいるのだろうかと眺めていると、“それ”が突然こちらを見た。
「……な、何か用か?」
ずずいっとにじり寄ってくる“それ”の得体の知れなさに、ロックは思わず一歩後ずさって問う。すると、「な、何か用か?」と、“それ”も同じ問いかけを投げてきた。ガウの声ではないようだ。
「それは俺が訊いてんの!」
「それは俺が訊いてんの!」
「だから、俺の方が先に質問したでしょーが!」
「だから、俺の方が先に質問したでしょーが!」
このままでは埒が明かない。ロックが腕を組み、どうしたものかと考えていると、布の塊に見えていた奇抜な服装に身を包んだ“それ”も同じように腕を組んだ。そこで得心がいって、にやりと笑う。
「ははーん、お前……このロック様の真似をしてるんだな?」 ロックが人差し指を立てる。
「ははーん、お前……このロック様の真似をしてるんだな?」 “それ”も人差し指を立てる。
「まあ、真似したくなる気持ちはわかるけどな」
「まあ、真似したくなる気持ちはわかるけどな」
ロックがふんぞり返ると、“それ”もふんぞり返る。
「……くっ、何なんだお前!」
少し意地になって、ロックが少し声を荒げる。すると、
「俺は、ゴゴだ。ものまねをして生きている」
ひどく冷静な言葉が返ってきた。
「お前たちが世界を救おうとしていると聞いて、俺はそれを真似することにした」
「お……おお、そうか……」
突如として自分の言葉を語り始めた相手に、ロックは虚を衝かれる。
「――ゴゴ! どこに行ったのかと思ったけど、こんなところでロックとお話していたのね」
困惑していると、小三角島の調査に行っていたはずのティナが、小走りで駆け寄ってきた。
詳しく話を聞くと、どうやらゾーンイーターの腹の中には洞窟があって、吸い込まれた仲間たちは全員無事で脱出したのだそうだ。そして、その洞窟の最奥にいたゴゴを新しく仲間に迎えたのだと言った。
「お前がロックと言うのか」
ゴゴは不思議な男――男かどうかも疑わしいものだったが――だったが、この暗鬱とした世界において仲間が増えるのは頼もしい。飛空艇が賑やかになるのも、とても喜ばしいことだ。
「ああ、トレジャーハンターのロックだ。よろしくな、ゴゴ」
ロックが手を差し出す。布を纏っているため表情こそわからないが、少しその雰囲気を柔らかくしたゴゴもまた、手を差し出し、握手を交わす。
新たな出会いに笑顔を浮かべたロックだったが、
「そうか、では俺もドロボウの真似をすることにしよう」
その一言で、盛大にすっ転んだ。それを見た布の塊は――笑いでもしたのか、ほんの少しだけ縦に揺れていた。
philharmonic/ケフカ・パラッツォ
シドに案内された研究所は、神秘に溢れていた。
ガラスシリンダーを満たす液体の中で、幻獣は静かに生きている。その証拠に、シドの後ろを歩いていると、彼らは来客を確かめるようにして薄く瞼を開き、眼球を動かした。ただの視線だというのに、その眼差しから感じられる圧倒的な幻獣の強さに脅威を感じると同時に、憧れの気持ちが湧き上がってくる。
――それが、魔導の力を注入される前のことだ。
魔導注入実験が終わった直後、ケフカが意識を取り戻すと、まずは吐き気がした。外部から入ってきた強すぎる力に、肉体が耐え切れていない。その力に対して抵抗を示し、ひどい過負荷状態に陥っている。
だが、何かに呼ばれているような気がして、身体を動かした。
よろめきながら実験室から出て、無意識のうちに向かったのは、幻獣たちのいる大きな部屋だった。
そこで、彼らの声が聞こえた。
憧憬すら感じていた幻獣たちがシリンダーに閉じ込められ、悲しみと嘆きを放ち続けていた。声なき声で人間を恨み、罵り、ただただ怒りを身の内に蓄えていた。その怒りのパワーの、なんと恐ろしいことか。
あまりの恐怖と、肉体の限界で、ケフカは意識を失った。
――そのとき、人造魔導士としての彼が生まれ、彼の善性は死に絶えたのだった。
数日間、生死の境を彷徨った彼は、次に目が覚めたとき、己の顔に華美な化粧を施した。
道化の靴が、研究所の床を叩く。たった今しがた、自身のことを失敗作だ、と揶揄した者を魔導の炎で焼いたところだ。ゆえに、彼の足音は踊るように軽い。時折鼻歌すら交え、いたって上機嫌のまま向かった幻獣たちの部屋で、そのステップは止まった。
部屋を震わせる幻獣たちの悲鳴は、やはり嘆きと怒りに満ちていた。
魔導の力を手にする前には、何も聞こえなかった。何も知らず、その強さに憧れた。魔導の力が注入されると、彼らの怒りが聞こえた。感情や力を感じ取れるようになって、恐ろしくなった。
今のケフカの心には、憧憬も恐怖もない。
その身に降りかかる彼らの声は、鼓膜を心地よく揺らすばかり。それは、まるで美しいオーケストラのようにも聴こえて、彼は、ヒッヒッ、と喉を鳴らした。
だが、彼の壊れた心を満たすには、まだパートが足りない。
悲しみが、恐れが、怒りが、嘆きが、絶望が、不足している。もっと――もっと破壊と死の音色でこの世界を満たさなくては、最高の演奏にはなり得ないのだ。
ケフカはすうっと笑顔を消し、つまらん、と言いながら、目の前のガラスシリンダーを蹴飛ばした。
片道切符/テイク・ザ・ファントム・トレイン
塔を形成していた瓦礫が、本当の意味で瓦礫となって落ちていく。
人間に敗け、魔導の力が消え、ただのつまらない人間に成り下がって――一時は神となったケフカは、もう動かない身体で揺れる地面に仰のき、青空を見ていた。空の隅には、一艇の飛空艇が粒のような大きさで飛んでいく。
彼らは、生死の結果ではなく過程が大事なのだと叫んだ。
だが、ケフカには守るべき者などありはしない。妻子や兄弟などの家族も、友も、覚えていない。仲間など裏切ってきた。秩序などあの国にはなかった。愛など――愛など、これっぽっちも知らない。
破壊を繰り返してばかりの道化は、何ひとつ手に持たずに死ぬ。独り、空虚に死ぬ――。
壊れた心では、それを悲しいと泣くことすらもできないのだと嗤ったとき、低い声が聞こえた。
「……俺の後ろの死神に伝えておこう、地獄行きの切符は二枚だ、とな」
客室は豪華でなくては嫌だ、相席は面倒だ。掠れた声でそう告げると、いつの間にやら近くにいた影のような男は、鼻で笑ったようだった。
横たわっていた岩場が崩れ、落ちていく。
全てを壊した男と、全てを捨てた男は、瓦礫の塔の崩壊とともに、その生涯を終えたのだった。