日の出とともに目覚め、運動と鍛錬を行う。汗を流し、制服に着替え、すれ違う従者や使用人に挨拶を交わしつつリビングまで下りる。中央の大テーブルに並べられた、各新聞社の朝刊、経済新聞を隅々まで読むのは重要な日課だ。ゴシップにこそ興味はないが、株価などに変動があると判断すれば、ワイドショーを始めとした各メディアニュースも念のために確認する。
一段落する頃、使用人がリビングへやって来て、大テーブルへ朝食が並べられていく。その間に目付け役である松岡が仏頂面で現れ、南条グループの状況や様々な情報を話す。松岡の話は、それはものの見事としか言いようのないほど、南条が朝食を食べ終えるタイミングで終わる。その後、支度を整え、読書するなどの休息を取ってから登校する。
それが、南条圭の毎朝の一幕だった。
「松岡? いないのか?」
しかし、今日に限っては、朝食を運んでくるはずの使用人も松岡も、それ以外の人間すらリビングへ訪れない。仕様がないので、既に頭に入っている内容の書かれた新聞各紙をもう一度読んで時間を潰したが、やはり誰も顔を出さなかった。
そういえばリビングに下りてくるまでの間も、使用人とすれ違うことはなかった。
ふむ、と、顎に手を置く。
ストライキだろうか。しかし、理由がない。ではなぜ誰も顔を見せないのか。いや、そもそもテーブルに新聞紙は並べられていたのだから、誰もいないわけではないだろう。
考えるにつれて、眉根が寄っていく。
休日ならば構わないが、あいにく今日は学校がある。時間通りに動かないなど、南条の性格からして許されることではない。
徐々に苛立ちが募っていき、堪りかねてリビングの扉をいささか乱暴に開ける。大声を出そうか、キッチンへ乗り込もうか、というところで、ふと訝しさを感じ、とどまった。
「これは……なんだ?」
地面に花びらのようなものが落ちている。拾い上げてみれば、どうやら造花らしかった。
視線を前に向ける。色とりどりの花びらは、まるでヘンゼルとグレーテルを導くパンのように、通路に置いてある。
不思議と、毒気が抜かれたような気分だった。なぜだか不快感や疑問ひとつ浮かばず、点々と続く花びらを辿って歩いていく。そしてそれは、大広間の扉の前で途切れていた。軽く見回してみるが、部屋の周囲に人の姿は見当たらない。
「入れ、ということか……」
誰の目論見かは知らないが、この中で何が待っているのか純粋に興味があった。リビングのときと違って苛立ちはなく、扉にかける手や表情には穏やかさが浮かぶ。
そうして両手で静かに扉を押し開いた、途端。
「指を鳴らしゃあ……花が出る」
低い声と、パチン、と指の鳴らす音が聞こえ、南条の視界に花が咲いた。それが、扉の上下左右から花束が差し出されているのだと気づくのに時間がかかるほど、意表を突かれた。
「みんな、いっくよー!」
「お誕生日おめでとう!」
「ハピバ南条!」
「Happy birthday!」
「おめっとーさん!」
明るい号令の後、愛すべき仲間たちの声が次々と大広間に響き渡る。安いクラッカーが何度も鳴らされて、部屋に火薬の香りと煙が充満する。
「お、お前たち……?」
にわかに状況が把握できず、常は弁の立つ南条が声を詰まらせる。煙の中で、サプライズを成功させ、ハイタッチして喜ぶ仲間たちの様子がわかったが、それでもまだ、気の利いた言葉が出てこなかった。
「圭様、お誕生日おめでとうございます。ささやかですが、ご学友の皆様との朝食の場をご用意させていただきました」
気配もなく後ろから松岡が現れ、パン、パン、と手を叩く。いつの間にやら、使用人たちが朝食を載せたカートを持って、その後ろに待機していた。口々に祝いの言葉を発しながら南条の横をすり抜けて部屋に入り、仲間たちから花束を預かり、食事とともに食卓を飾りつけていく。最後に隣で立ち止まったのは、黛だった。
「驚いたろ? アタシたちがお願いして、松岡さんや家の人に協力してもらったんだよ」
誰かが窓を開けて、部屋を換気したのだろう。あっという間にクラッカーの煙が消え、大広間に大きくセッティングされたテーブルには、豪勢な食事が用意された。そして、その中央には――
「見てよ南条! これ、アヤセたちみんなで作ったんだよぉ~すごくない?」
「デコレーションはオレと園村で考えたんだぜ」
「稲葉くんってば、ものすっごく派手なケーキにデザインしようとして大変だったんだから! そうそう、城戸くんがすごく上手にデコレーションしてくれたんだー」
市販されているものよりも少し不恰好で、少しカラフルで、けれど、世界中のどんなものよりも嬉しいホールケーキが置いてあった。
「そろそろ食べないと、学校が始まってしまいますわ。さ、Keiもこちらへ座っ……Kei?」
桐島が、いまだ大広間に入ってこない南条を振り返る。上杉もそれに倣って振り向き、歯を見せて笑う。
「サプライズに感動しすぎて、声も出なかったりして! ……って、南条、オマエ」
仲間と目が合い、南条は慌てて口元を片手で覆った。だが、火がついたように真っ赤になった顔を隠しきれず、不機嫌そうに俯く。
「んだよ、南条! 嬉しいなら嬉しいって言やーいいのに! 相変わらず強情だなぁオマエってやつは!」
「うっ……うるさいぞ上杉! デリカシーに欠ける奴だな貴様は!」
「まあまあ。――ほら南条、行こう」
青みがかったクセ毛の同級生が、からかわれて咄嗟に悪態をついた南条の肩を叩き、中央のケーキの前へ座らせる。使用人たちがカーテンを引くと、朝だというのに部屋は暗くなった。
蝋燭が、ケーキの上に輪を描いて刺されていく。一本ずつ火が点けられると、真ん中に施された『1』のデコレーションが引き立った。
ゆらゆら揺れる火を見ながら、南条はようやく自身の置かれた状況を理解し始め、同時に、くすぐったい気持ちが足元から湧き上がった。今、カーテンが開いて明るくなったら、また顔が赤いのを察せられて笑われてしまうなと一人ごちる。だが、この気の置けない仲間たちなら、笑われることも嫌ではないのも確かだ。
自分のためのバースデーソングを聴きながら、南条は、言い慣れない「ありがとう」を、いつ、どのように伝えるべきだろうかと、その聡明な頭に巡らせる。
だが、焦らなくてもいいだろう。まだ、一日は――誕生日は始まったばかりなのだから。