同級生の心の闇、神取鷹久、夜の女王。凄惨な戦いは終わり、平穏は戻った。だが、それぞれが残した爪痕は大きい。
この学園ひとつをとって見ても、全てを凍てつかせた氷こそ溶けていながら、校舎は水浸し、備品も朽ち果て、悪魔が暴れたところは損壊も激しく、教育施設としての機能はずいぶんと失われている。
「この分じゃ、しばらく登校は無理だろうね」という、担任の高見冴子の言葉に、南条も同意を示した。街の主要施設の復旧が優先されることを見積もっても、数週間は登校できないだろう。
「――ダメだ!」
話の中、大声を上げたのは稲葉だった。
「だってよ、早くここを使えるようにしねーと、園村が帰ってこれねーじゃねーか!」
その意見に、仲間の誰もが一度黙り込む。
今回の騒動の原因でもあったクラスメイトの園村麻希は、元々入院していた御影総合病院で治療を続けることになった。
御影総合病院も悪魔によって被害を受けていたが、園村の失踪とともに消えたはずのICUはまったくの無傷。一度は転院も考えられたが、事件後すぐに見つかったのがそのICUだったこともあり、とにかくひとまずその場で処置は行われた。
処置後、まだ園村の意識は回復していないものの容態は安定。母親である園村節子の「お友達のそばにいさせてやりたい」という要望もあり、そのまま御影総合病院へ入院している。
南条は、腕を組んだまま黙って考え込んだ。
御影町のためを思えば、ライフラインの復旧が最優先だ。学校など、避難場所である体育館さえ整えておけば、後回しにするのが妥当だろう。
だが――今の南条は、事件前とは違う。
園村の転院に関しても、以前ならば、不衛生だの医療設備が不十分だのと言って、自家用ヘリでも出して転院させることを提案しただろう。
しかし、理論的にはじき出した最善策ばかりが最善ではないことを知った。人の心や感情がどれほどの奇跡を生むのか、この目で確かめた。
一見合理的ではないものにも、価値はあるのだ。
「俺に提案がある」
くい、と眼鏡を持ち上げると、仲間がそれぞれ顔を見合わせた。
「本来ならばライフラインの復旧が最優先だが……餅は餅屋だ。自衛隊にでも任せておくのがいいだろう。そして、俺の掴んだ情報では、ボランティアグループが街の復興に手を貸してくれるそうだ」
「だからどうするってんだよ南条」
焦れたように訊いてきた上杉に、鼻を鳴らす。
「わからんか? 手の空いている俺たちでここを掃除すればいい。必要ならば、うちから人の手配をしてやろう」
今はひとり病院で眠る仲間が、いつ戻ってきてもいいように。
その想いは、みな同じだ。
「Fantastic! 素晴らしいですわ、Kei!」
手を叩いて喜んだのは桐島。全員が笑顔で賛同する中で、稲葉だけが口を開けて呆然としている。
「どうした稲葉、いつにも増して間抜けな顔をしているぞ」
その言葉でようやく我を取り戻したのか、稲葉は南条の前まで歩いてきて、照れくさそうに帽子を外して頭を掻く。ややあって、「……サンキューな、南条」と呟くと、心底嬉しそうに笑って、南条の肩口を軽く拳で叩いたのだった。
ああ、と返事をする。叩かれた部分が、わずかにぬくもりを持った気がした。
それから数日、南条財閥からの清掃用品の支給などを受け、有志の人間で学校の瓦礫を撤去し、水気を拭き取り、徐々に片付けは進んでいる。
「図書室や職員室の資料とかも超ビッショビショだったんだよ~!」
「なるほど、虫干しか」
なにやら大量の本を抱えて廊下を歩く綾瀬に声をかけると、天気が良いので日当たりのいいところで濡れた本を乾かしていたのだと言う。
「本とかすっごく重いし~オンナノコのアヤセにはジューロードーなんだけど~」
「やれやれ、半分持ってやろう」
「えへへ、ありがと! 南条優しくなったよね~」
遠回しに手伝いを要求しておきながら、綾瀬は楽しそうに笑う。
受け取った本は、日光を浴びてほんのりと熱を帯びていた。
「……温かいな」
一度は異界化のせいで空の色も変化し、空気は淀み、街全体が陰鬱としていた。だが、今は空も青く、射し込む陽光は美しく、温かい。
本当にすべては終わったのだ。そして、ここから始まるものがたくさんある。
この世に明けぬ夜は無しとは、マクベスの一節だったか――と考えて、人知れず微笑んだ。
両腕に抱えたぬくもりは、好ましい。
そして、好ましいと思えるようになった自分自身も、ほんの少し。