あれは確か、今頃は悪魔を連れて地下鉄の様子でも見に行っていたはずだが、どうやら飽きて帰還したらしい。神取は、ほんのわずかに父親然とした表情を浮かべると、「ああ、帰ったのか。外はどうだった」と努めて穏やかな口調で話す。
「パパ! ただいま!」
黒いワンピースを着た幼い少女は、その神取に飛びかかるように抱きついた。
「あまりニンゲンがいなくて、おもしろくなかったの。……それでね、パパ」
「どうした、アキ」
もじ、とした様子を見咎めて問いかける。するとアキは、幼女ながらに目一杯興味のない素振りを見せながら、その実まったく好奇心を隠し切れない様子で、手に持っていたものを神取に見せてきた。
「あのね……これ、なあに?」
アキが小さな両手で掲げたものは、花火の入ったパックだった。
「これはどうした?」
「うん、おもしろくなかったから、他のばしょをみてきたんだけど、お店にこんなものがあったから」
わからないけどとってきちゃった、と、吊り上がった眼をにこにことさせながら、神取に花火のアソートを手渡した。
「アキ、これはな、花火というものだ」
「はなび?」
「ああ、そうだよ。夏――暑い季節の夜に火をつけて遊ぶ玩具だ」
「ばくはつするの?」
「これとは異なるが、夜空で爆発するような大きな花火も存在するとも」
そこまで言うと、アキは「へえー!」と明らかに目を輝かせた。
この幼女――否、《あの少女》は、夜に家族や友人と行う花火や、花火大会すらも知らなかったのだろうか、と神取の胸にわずかな憐憫の情が浮かぶ。
「……やってみたいかね?」
利用しているだけの相手になんと馬鹿なことを、と思いながら、神取の口からは反対の言葉がこぼれていた。アキはさらに表情を明るくさせて、何度も大きくうなずく。
らしくないことを口走ってしまったが、今さら撤回するのも懐の狭い話だ。これくらいならいいだろう、と譲歩して、神取はアソートのうちから数本の線香花火を取り出した。
花火といえば、火が必要である。炎の魔法を使ってもよかったが、さすがに趣がなさすぎる。そこで神取はアキにジャックランタンを呼び寄せさせると、その手に持っていたランタンを拝借することにした。
ヒーホーと泣きながらランタンを置いて出て行った様子を見ると、アキの脅迫がよほど恐ろしかったのだろう。――同情など欠片も浮かびはしないが。
「それで、これはどうしたらいいの?」
線香花火を一本、先ほど神取が渡してやった形で両手の上に乗せたままのアキが、自分の手のひらを見たまま首をかしげる。
「こうするんだ」
神取はしゃがみこみ、持ち手となるこよりの方を指先で持つ。どこからか吹く風で揺れる花火の先をランタンの炎に近づけ、そっと点火をさせた。
ジ、と音を立てて着火する。紙を焦がし、火薬に到達すると、少しずつ猫の髭のような大人しい火花を放ちながら、先端の玉が膨らんでいく。次第に玉から発される火花は強く、激しくなり、この辺りでアキが「うわあ……!」と堪らずに歓声を上げた。松の葉のように広がる火花から煙が立ち上り始め、視界が刹那の白煙に染まる。そして、徐々に火も煙も衰え、小さくなっていく火花はやがて玉の周囲に時折ちらつく程度になり、膨らんでいた中央の玉が――ぽとりと、落ちた。
「これで、おわり?」
「そう、これでお終いだ」
「アキもやってみる!」
神取が持っていた線香花火をしっかりと見届けたアキが、見よう見まねでやり始める。
あれほどの悪魔を使役し、様々な特殊能力などを間近で見ているにも関わらず、激しく散る火花が手のそばにまで広がると、やや驚いたような顔を見せたが、何の問題もなくできているようだった。
そうして、一本、二本と花火を終え、残りの一本に火をつけたとき、アキが線香花火に照らされながら、ふとひどく大人びた横顔でつぶやいた。
「よわくて、みじかくて、なんだかヒトの命みたい」
ぽとり。最後の線香花火の玉が落ちる。
アキは、地面に落ちて、まだ少し赤みの残ったそれを、靴の裏で踏み潰した。
「あーたのしかった!」
線香花火が楽しかったのか、最後の行為が楽しかったのか、神取には判断がつきかねたが――ただ、先ほどの横顔には、確かに《彼女》が見えた。楽しいことも知らず、夢を見ることに疲れ、誰かに希望を抱くことに疲れ、内側に閉じこもってしまった《彼女》。その《彼女》の破壊性を、確かにこの幼女に見たのだ。
「くく……そうだな、アキ。実に愉しいな……! 確かにお前は、私の娘に相応しい!」
神取がこみ上げてくる感情を隠し切れずに笑うと、アキは嬉しそうに微笑んだ。
《彼女》が世界に抱く憤りは、妬みは、憎しみは、破壊衝動は。自身に抱く遣る瀬なさや絶望や諦観は――すなわち、神取鷹久自身が抱くものと、まったく同質のものだ。
ならばすべてを壊せばいい、ならばすべてを掌ればいい。
神取は、アキが踏みつけた線香花火の残骸を、さらに靴底で踏みにじる。そうして静謐をたたえるマナの城に大きく哄笑を轟かせ、自身の昏い野望へ改めて火をつけたのだった。