じりじりとした真夏の日差しも、この中にいる限りは少しばかりましなように思えた。それでも、小走りに土を蹴れば緑葉とともに熱風が肌をかすめる。ゴールのない迷路の真ん中で足を止め、玉のように浮き上がる額の汗を腕で拭ってから、藤堂はゆっくりと周りを見渡した。
 ここは、南条家が持つ別荘近くにある向日葵畑――。高校生活最後の夏、卒業後にはばらばらになってしまう仲間たちと遊びに来ていた。
「管理人の手入れが細かく行き届いたいい場所だ」 別荘の持ち主である南条がそう言っていた通り、畑の向日葵は今が盛夏だと謳わんばかりに咲き誇っている。軍隊の隊列のように礼儀正しく太陽へ正面を向いた大輪は、どれもが鮮やかで綺麗だ。
「――尚也くん! こっちこっち!」
 どこからか夏によく似合う明るい声が響く。もう一度ぐるりと周囲を見渡したが、声の主は見つからない。
 ね、あっちがすっごく綺麗だから見に行こ、と。他の友人たちの他聞をはばかるようにして囁いた彼女の、そのひやりとした手に引かれるがままここに来たのはよかったが、向日葵畑に入ってすぐにはぐれてしまった。
 それからずっと宛てもなく駆け回っているが、合流できないままだ。
「もう、早く見つけてくれないとわたしがいなくなっちゃうよ」
 声だけは、時折どこからともなく聞こえてくる。けれど、向日葵の間に消えた後ろ姿を最後に、彼女の姿を見ていない。
 もうずいぶん走った気がする。帰ろうと、大きな声で叫べばいいのかもしれない。だが、藤堂の胸には、あの暗い岩戸の奥で彼女と対峙したときと同じ感情が浮かんでいた。だから、彼女が見つけてほしいと言うのなら見つけてやりたい。
 止めた足を再び動かし始め、背の高い向日葵の隙間を縫って走る。
「必ず、探し出すから」
 走りながら、呟く。
 呟いたその声を、花々を大きく揺らして駆けてきた夏風がさらって――不意のまたたきの間に、ぽっかりと小さな穴が開いたような場所に出ていた。
 数メートルほど丸く開けた場所のその真ん中で、捜していた彼女が、一輪の向日葵を手に持って立っている。
 白いワンピースのスカラップレースの裾をはためかせて、ペディキュアがまばゆく映えるサンダルで地面に立って、ちょうど向日葵がつばの広い麦わら帽子を被ってるみたいに、大きな花で顔を隠して。
「うん、尚也くんなら探し出してくれるって信じてた」
 くすくすと笑う彼女の元へ近寄る。顔の前にある向日葵をそっと横にずらしながら、藤堂は、ほんの一瞬、迷いの森の奥で顔面を覆い隠していた彼女を思い出していた。
 大輪の向こうに向日葵よりも朗らかな彼女の笑顔を見つけ出して、ほっとする。
「見つけたよ、」
 そのむら。そう呼ぼうとした唇が、ひやりとした彼女の唇に遮られる。
「ありがと、尚也くん。わたしを見つけてくれて。……あのときも、今も」
 ただ触れただけのキスは、まるで夢のようにすぐ終わり、藤堂の目の前で、彼女は本当に心の底から嬉しそうに微笑んだ。
 そして再び巻き上がった熱を孕んだ風が、彼女の帽子を夏空へと飛ばした。
「あ……」
 声を上げたのは、どっちだったのだろう。
 帽子につけられた細く赤いリボンが真っ青な空にたなびいているのを細めた目で追いかけて、取りに行こう、と彼女の手を引こうとした藤堂は――地上へ戻した視界の中、その相手がいなくなっていたことに気がついた。
「あー! 尚也くんってば、こんなところに!」
 狐につままれたような気分で辺りを見渡していると、後ろから明るい声が聞こえて、藤堂ははっと振り返る。
「急に一人でいなくなっちゃうから、みんなで心配してたんだよ」
 向日葵の茎をかき分けて現れた少女は、園村麻希だった。今しがた消えた彼女と同じ白いワンピースとサンダルを身に着け、その柔らかな茶色の髪を、麦わら帽子で隠している。
 咄嗟に空を見上げる。風にさらわれた彼女の麦わら帽子はもう見当たらない。
「どうかした?」
 少し目尻の上がった瞳をきょとんとさせる園村へ、藤堂は少しの間を置いてから、なんでもないと首を振った。
「うん、じゃあ……みんなのところへ帰ろっか!」
 向日葵を背景に明るく笑う姿を見て、わけもなく胸が騒いだ。衝動的に手を伸ばす。
「――園村」
 さっき彼女の手を掴めなかった藤堂の手が、歩き出そうとしていた園村の手首を捕まえる。そのまま手のひらを合わせ、やんわりと握り締めた。互いの手は熱く、うっすらと汗をかいている。
「尚也くん……」
「今度こそ、はぐれないように」
 黄色い世界の中、顔を真っ赤にした園村がうつむく。麦わら帽子が表情を隠してしまったのは少し残念だな、なんて考えながら、藤堂は雲ひとつない青空を見上げた。
 手を繋いだまま仲間の元へゆっくりと歩き出した二人の後ろ。開けた地面の真ん中に、彼女の笑顔のように華やかな向日葵が、ひとつ残されていた。
 それは、そう、喩えるのなら――暑い夏が見せた幻の、置き土産。

夏色ハルシネイション :2018/08/13
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