自身はフリーカメラマンの藤井俊介にバイトとして雇われているだけという、ただの見習いの身分だ。そんな自分がなぜ指名を受けたのかと首をかしげていたが、キスメット出版の入るビルのエントランスを見て納得した。屈強な男がまんじりともせず銅像のように立ち、明らかに常人のものとも思えない鋭い眼光をたたえてこちらを見ている。
「黛様、折り入ってお願いがございます」
挨拶もそこそこに本題を話し出したその男に、ゆきのは見覚えがあった。学友である南条圭の目付け役を務めている松岡だ。
様々なメディア企業が入っているこのビルのロビーは、業界人がよく待ち合わせやごく軽い打ち合わせに使用する。自分にはおよそ無関係だと思っていたソファに松岡と向かい合わせで座ったゆきのは、一般人なら射竦められそうな眼差しにも臆さずに「はあ」と曖昧に返した。
「アタシでできそうなことなら、聞きますけど」
「ありがとうございます」
松岡の礼はすげない。決して心がこもっていないわけではないのだろうが、常に冷静沈着な強面は気持ちの浮き沈みが相手に伝わりづらかった。南条が「悪い男ではないのだが」と言っていた理由を垣間見た気がして、ゆきのは内心で少し笑った。
「それで、お願いってのは何ですか?」
松岡と自分を繋ぐ接点など、南条圭という存在と、この街で起きた新世塾との戦い以外はとんとない。だから十中八九南条のことに違いないだろうが、と思いながら切り出す。
「実は……」
そこまで言って松岡が初めて、言葉を短く途切れさせた。
もしかすると言い出しづらいことだろうか。高校時代の彼の素行でも聞かれるのかもしれない。吊り上がった瞳で、松岡の視線をしっかりと受け止める。
「実は、圭様のブロマイド用の写真を撮っていただきたく」
「……はい?」
確かに南条のことには違いなかったが、想定よりもずいぶんベクトルの異なる依頼だ。広いロビーに、いささか素っ頓狂なゆきのの声が吸い込まれていった。
まだ南条が日本に滞在している夏期休暇の間に、次期ブロマイド用の写真を撮影してほしい――それが松岡の頼みだった。
曰く、学友とともに在るときが一番自然体でいられるだろうから、ということだ。自分たちといたところで、松岡ほどではないものの南条の鉄仮面が剥がれるところなどそうは見れないのだが、と考えながらも、人から頼まれたことを無下にできる性分ではない。やれる範囲は本気で取り組むのが黛ゆきのという女傑である。
「――というわけで、アンタたちにも協力してほしいんだよ」
「Okey、そういうことでしたらもちろん協力いたしますわ!」
「うん、とびっきりいい写真撮ってあげなきゃね!」
「姐さん任せときなって、おれ様のサイッコーのギャグで南条の大爆笑取ってやるぜぃ!」
そこで集められたのは聖エルミン学園時代の同級生、桐島英理子、園村麻希、上杉秀彦。すぐ招集が可能な範囲にいて、なおかつ、スケジュール的に頼めそうな人間を選んだところ、この三名となった。ちなみに城戸玲司に声をかけなかったのは、彼の日中の忙しさと、未来の奥方が妊娠中という大事な時期を慮ってのことだ。
「皆様、どうぞよろしくお願いいたします。……私がいては、圭様も構えてしまわれるでしょうから、これで失礼を」
恐縮するくらい深々と頭を下げて、松岡はエントランスを出て行く。その後ろ姿を見送ると、ロビーには仲間たちだけが残された。
「……さて、と」
少しの水臭さを覚えながらも、ゆきのは気持ちを切り替えて仲間を振り返る。園村が、にっこりと笑った。
「よーし、それじゃあ作戦会議だね!」
作戦会議とは名ばかりだった。
数分もかからない話し合いの後、「まっ、とりあえずさぁ」「Keiにcallして」「みんなで遊びに出かけちゃおうよ!」という、息ぴったりの提案が三人から出され、ゆきのは、アンタらただ遊びたいだけなんじゃないか、という言葉をぐっと呑み込む。
だが、三人の提案は突飛なものではない。見習いカメラマンという事情は、先日の集まりのときに伝えてある。練習と記念をかねて全員を撮らせてほしいと言えば、勘のいい南条とて納得するはずだ。
「……つまり、その遊んでいる姿をアタシが撮影するってことでいいかい?」
確認の問いに返ってきた「じゃあそれで!」という声の元気さに、やっぱりコイツらただ遊びたいだけだと確信しながらも、とりあえず黙っておくことにした。
その後の作戦会議もいい加減なもので、南条に電話が繋がらないからと宿泊中のホテル・プレアデスに押しかけ、フロントの内線から上杉が「なんじょーくん、あーそーぼー!」と呼び出す始末だ。
「上杉、貴様には恥も外聞もないのか……」
ペントハウスからフロントへ下りてきた南条が、開口一番ため息混じりにこぼす。
「お前たちもお前たちだ、段取りや計画という言葉を知らんのか! 松岡が今日の予定を変更してきたから良いものの、そうでなければおれはこうしてホテルにいることもなかったのだぞ」
モデルの桐島やタレントの上杉がいるおかげだろう、周囲の目が自分たちに集まっている。そんな中で南条が説教を始めると、視線に含まれる好奇の色が少し濃くなった。
「Kei、怒ってばかりでは時間が無駄になりますわ」
「そうそう! せっかくなんだから早くどっか行こ!」
桐島がうまくあしらい、園村が両手でその背中を押しながら玄関へ向かい、上杉が楽しそうに追いかける。彼らを見つめる周囲の眼差しも、その動きに合わせて移動していく。
ふと、ゆきのが別の視線を感じて玄関とは真逆の方向に目を向けると、半ば隠れるようにして松岡が立っていた。目が合ったことを察した松岡は、気難しい顔のまま折り目正しく頭を下げる。
「黛、何をしている? 桐島たちの言う通り、時は得難くして失い易し、だ。行くぞ」
振り返った南条に声をかけられ、そちらを向く。もう一度振り返ったときには、松岡の姿はそこになかった。
「……ああ、すぐ行くよ」
ゆきのは細めた瞳にわずかな不満の色を残して、学友たちの背中を追いかけた。
翌朝、雇い主の藤井に指南を受けながら、ゆきのは撮ってきた写真のフィルムを一枚ずつ現像液に浸し、洗浄していた。
ネガフィルムを乾燥のために吊るし、穏やかに微笑む。暗い現像室の中にありながら、思い出を切り取ったフィルムは宝石のように輝いて見える。
昨日はとても楽しかった。学生時代に戻ったように楽しく、それでいて学生時代にはできなかった話をたくさん話した。明るく笑う同級生の姿を逃すまいと、半ば夢中でシャッターを切った。本当にすべてがシャッターチャンスみたいで、ファインダーから目を離すのが惜しく感じたほどだった。
そのおかげか、藤井からは今までにないくらい絶賛を受けた。練習と記念をかねて、という南条に伝えた言葉は、あながち方便ではなかったようだ。雇い主からの褒め言葉で改めてやる気をみなぎらせたゆきのは、ネガフィルムを大切に確認していく。
そして、最後に吊り下げたフィルムの一番下――昨日、最後に撮った一枚をじっと見つめた。
「うん、我ながらよく撮れてるじゃないか」
満足げにうなずく。ゆきのは、最高の仕上がりになるように祈りをこめて、その一枚の水気を殊更丁寧に拭いた。
何日かが経って、いつも首から提げているカメラの代わりに現像した写真とネガフィルムを入れた封筒を持ち、ゆきのは再びホテル・プレアデスを訪れていた。
「黛様、お待たせして申し訳ございません」
フロントのソファは先日のそれより高級で、座り心地に反して気持ちが落ち着かない。そわそわとし始めたところに待ち合わせていた松岡が到着する。
「結構な枚数を撮ったので、アタシの方で何枚かいいものを選んで現像してきました」
早速と封筒の中身を広げて見せる。松岡は表情を微動だにさせぬまま、すべての写真を端から一枚ずつ確認していく。
そして最後の一枚に辿り着いたところで、それまで黙っていたゆきのがおもむろに口を開いた。
「最後のその写真、いい顔してますよね」
「ええ」
松岡が顔を上げ、まっすぐに見る。ゆきのもまた、しっかりとその目を見返した。だから、
「――それ、ホテルに戻ってきて、松岡さんと話しているときのアイツですよ」
そう言ったとき、それまでどんなことにも表情を変えなかった松岡の瞳が一瞬見開かれたのを、ゆきのは見逃さなかった。
「南条のやつ、松岡さんにすごく感謝しているんだってアタシらに話していました。……よかったら次は、遠慮せずご一緒にどうですか」
ゆきのが告げると、松岡がもう一度最後の写真に目を落とす。
それは、迎えに下りてきた松岡と顔を合わせたときに撮った写真だった。ゆきのが思わずカメラを構えてしまったほど、穏やかな表情を浮かべた、南条の。
「圭ぼっちゃま……」
松岡が手を伸ばし、その写真を大事そうに摘み上げる。
ああ、と、ゆきのは息を吐いた。
もし今カメラを持っていたなら、思わずシャッターを切っていたかもしれない。そう思うほどに、目の前の強面の男は、目尻を和らげた優しい表情を浮かべていた。