事件からは既に一ヶ月が経過しており、悪魔たちは影も形もない。しかし、蹂躙の痕は確かに残されていた。一般家屋への被害こそ少なかったものの、生活インフラストラクチャーの被害が甚大だった。
悪魔の巣窟となっていた御影署、総合病院の機能は完全に停止。地下鉄駅構内、線路内、および、町の上を東西に走る高架橋の橋脚などにはいずれも激しい損傷が見られた。日本政府としては、高速道路の交通規制や線路の振替輸送の措置を講じる以外になく、結果として、御影町は一般道以外からの出入りが一時的に不可能になった。
町の情況が整うまで、あるいは、心の傷が癒えるまで。近くの親戚などを頼って町を出る住民も多く、つい先日まで賑やかだった各マスメディアも、師走に入ってからは目に見えてその数を減らしていき、今や御影町は、事件前とは比べようのないくらい閑散とした状態になっていた。
だが、それでも。そこに息づく人々は――前を向き続ける者たちは、確かに存在した。
政府が御影町周辺の交通インフラ整備に気を取られている間、南条グループは松岡という男の指揮の下、すぐさま人員を派遣し、生活インフラの復旧を中心に活動を開始した。
まず役場の機能を復活させ、町全体の被害状況を明確にした。続いて、異界化の影響で滅茶苦茶になった御影総合病院の電源の切り替えと、御影署の復旧を並行して急いだ。死傷者の数や程度、容態の把握、必要な措置の確認、転院の手続きなどを順番に行っていった。
惜しみなく振るわれる辣腕の裏――病院の患者たちが少しずつ心の平穏を取り戻していく陰に、とある少年たちの姿があった。
彼らは、事件の影響で休学中となっている聖エルミン学園の生徒たちだった。
はじめは、この病院に入院しているという親友を見舞いに来ていただけだった。しかし、南条グループゆかりの人間がいるらしく、途中から物資の運搬を買って出、そのうち子どもや老人を中心に慰問を始めるようになったのだった。
そうして静かな師走も月半ばへ差しかかろうという、ある夜のこと。
夜勤を担当していた看護婦が、二階廊下を巡回していたとき、異常に気がついた。玄関の近くが少しざわついている。何事かと一階へ下り、出入り口から様子を窺う。どうやらいつも慰問に来る学生たちがいるようだ。こそこそと声を抑えながらも、興奮気味の雰囲気が伝わってくる。
「へえ……これはすごいね。南条の自前なんだって?」
「毎年飾られるお家のtreeなんですって。さすがに大きいですわね」
いつの間にやら、病院の敷地内に木が置かれている。暗闇でもわかるほどの大きさだ。運搬方法は不明だったが、彼らが持ち込んだというのはわかった。
「高いところの飾りつけは男がやるべきだろう。女子は下の方の飾りつけをしつつ、全体のバランスを見て指示をくれ」
「オッケ~任せといて~」
「電線の類は俺がやろう。院長に話もつけてある」
「さっすがオメーは、やることのスケールがちげーな……」
「やると決めたからには全力を尽くさねばな。――上杉! 貴様はまたわけのわからんものを飾りつけようとしているだろう……!」
「シーッ、南条オマエ声でけーのよ! 言わなきゃヒトデってバレねーのに!」
てきぱきと指示を出しているのは、眼鏡の少年だ。わいわいと騒いでいる友人の他、黙々と作業をする二人の少年の姿もある。
「それ、朝になったら絶対星じゃないことバレると思うな~」
その輪の中に、入院中である園村麻希の姿があった。
一時は心身ともに見るに耐えないほど衰弱していた彼女が、あれほど快活に笑い、動けるようになった。こんな夜更けに外に出られるほど回復した。
本来ならば諌めに行くべきだろう。だが、セベク・スキャンダルの最中も、その後も、彼らはこの病院にとって救世主のような存在だ。
同僚は、自分がゾンビに襲われたときに彼らが救ってくれたと言った。とある患者の家族が、あの緊急事態の中で、ボケたおじいさんの話を嫌な顔ひとつせずに聞いてくれたと話した。事件中だけではない。子どもたちが彼らの持ってくる玩具やお菓子に輝いた目で受け取り、一緒に遊ぶのを心待ちにしている。老人たちが孫を見るような目で彼らの話を聞き、日々元気をもらっている。
看護婦は、黙って巡回を再開する。
途中だった二階を終え、三階へ。ふと窓から見下ろすと、着々と木の飾りつけは進んでおり、立派なクリスマスツリーが完成しつつあった。
朝になったら、ツリーの存在に気づいた子どもたちが大喜びするだろう。否、病院の子どもたちだけではない。まだ傷の癒えていない御影町の全ての人々が、きっと――。
巡回を終えて、詰所へ戻る。看護婦は、やがて訪れる朝のことを想像して少しだけ微笑みながら、巡回シートの『異常なし』の欄にチェックを入れた。