1. 上杉秀彦

 収録を終えて、楽屋から裏口へ。裏口から出た駐車場の外では、ファンが出待ちをしていた。
 事務所の車に乗り込んだ上杉は、スモークを貼った窓ガラスの内側でひそやかにため息を吐いた。女性マネージャーがエンジンをかけ、駐車場の出入り口のところで窓を開けたので、すれ違いざまにファンへ向かって手を振った。
「最近、またファンの子増えたんじゃない?」
 嬉しそうなマネージャーの言葉には、そッスかね、と軽い返事を投げるだけに留めた。

 聖エルミン学園を卒業後、上杉秀彦は芸能界へ入った。学生時代と同じく《ブラウン》の愛称で親しまれる彼の活躍は最近特にめざましく、テレビでも雑誌でも引っ張りだこだ。
「あんな親父ギャグのどこが面白いんだかねえ」とは、今も親しくしている元同級生であるカメラマン見習いの言葉だが、ともあれ、最近の上杉はとにかく多忙であった。仕事そのものには慣れてきたが、不定期な仕事のサイクルには、いつになっても慣れない。
 疲弊しきった顔で帰宅すると、住所を公開していないにも関わらず、いくつかの封筒がポストに入っている。  ファンレターは嬉しいし、ありがたいが、忙しい最中ではあまりじっくりと読む暇がなかった。トランプをシャッフルするように封筒を眺めていくと、その中に、海外からのポストカードが紛れ込んでいた。
 それを見た途端、表情がみるみる華やいでいく。
 写真に写る人物は懐かしく、その笑顔は、上杉の肩を軽く叩いて励ましてくれていた学生時代のそれと同じだったのだ。
――行こう、上杉。
 疲れたとき、めげそうなとき、いつも彼がさりげなく背中を教えてくれていたことを思い出す。あの頃の記憶が一気に蘇り、目頭にかすかな熱を持った。

「ほら、やっぱりファンの子、増えてきてる」
 翌朝、移動の車中で、マネージャーが窓の外を見ながら呟く。上杉は、そうッスね、と力強くうなずき、窓から顔を覗かせて大きく手を振った。
「おれ様、もっと頑張っちゃうから! 応援ヨロシクぅ~!!」
 外から聞こえた黄色い悲鳴に、上杉は満足そうに笑った。













2. 黛ゆきの/綾瀬優香

「やっほ~優香だけど。元気~?」
 電話口から聞こえたのは、相変わらず少し間延びした声だ。それでも、高校時代よりはいくらかはましになった。「ああ、元気にやってるよ」という自らの返事も、あの頃に比べてずいぶんと柔らかい物言いになったと思う。
 互いに大人になったものだ。挨拶を交わす口元が、ふとほころんだ。
 しかし三年前、あの凍りついた学園をともに走り回った絆は今も変わらない。カメラマンの見習いとなった黛は、結婚して名字の変わった綾瀬と、よく連絡を取っていた。
「ゆきの、アイツからの手紙届いたぁ?」
「やっぱりアンタのとこにも届いてたんだね」
 話題になったのは、綾瀬と同じく、絶望に近しい逆境を一緒に戦い抜いた同級生からの手紙だ。
 先日、スタジオで会った上杉も便りが来たことを興奮気味に話していた。おそらく当時の仲間全員に送ったのだろう。あまり饒舌ではないくせに、人の話を聞くことに対して労を惜しまない彼の小まめな人柄が、こんな形でも現れる。
 差出人である青年の話に始まり、久しぶりに当時の話をして、仲間たちの近況に触れ、ひとしきり話に花を咲かせた。ややあって、「あっ、ダンナが帰ってきた~」と綾瀬が嬉しそうに言ったのをきっかけに電話を終える。
 あの綾瀬が、なんだかんだといい嫁をしているらしい。そのことは、ひどく喜ばしく感じられた。
 静けさを取り戻した部屋の中、黛は手元のポストカードをそっと裏返した。
「……いい写真だ」
 夢を求めて旅に出た例の同級生は、外国の子どもたちに囲まれて笑っていた。子どもたちの表情も、とてもいい笑顔ばかりだ。どこに行っても慕われる奴だと、忍び笑う。
 そういえば、彼のことを話す綾瀬の声は、始終嬉しさに弾んでいた。おそらくは、自分もそうだったに違いない。
 一度ポストカードを机に置き、自身のカメラを胸元に抱えた。そうしていると、不意にあの戦いのことが脳裏に蘇る。
 今の自分は、あのときみたいにがむしゃらに生きているだろうか。何かを成し遂げたいと強く思い、前へと走れているだろうか。誰かと心から笑い合えているだろうか。
 綾瀬のように、幸せを、夢を、掴めるだろうか。
 黛には、あまり自信はなかった。
 だが、それでも。ファインダー越しに見えたポストカードのように、友人の笑顔をこの手で残したい。目を細めたくなるほどのまぶしい瞬間を捉えたい。
 いつかは夢を、星を掴みたい――そう強く願って、ただ、カメラのシャッターを切った。













3. 桐島英理子

 もう、どのくらいこうしているだろう。
 仕事を終えて、ポストに届いていた葉書を見つけた瞬間から、桐島英理子の中の時間が止まってしまったかのようだった。それからずっと写真を――写真に映る青年の姿を眺め続けている。
「My sunshine……」
 ほう、とため息混じりにつぶやけば、今なお色褪せない想いが溢れ出していった。
 三年前に御影町で起きた事件、通称セベク・スキャンダルは、まさに桐島や写真の青年が通う学園を巻き込んだ。
 事件の裏には、友人の心の闇があった。闇と向き合い、闇を乗り越えた彼女は今、強く生きている。互いに卒業し、それぞれの道を歩む現在でも、大切な親友だ。
 この事件の際、桐島もまた、自身が抱える懊悩を見つめることとなった。
 あのとき、自分と向き合うことができたのは、ともに戦い抜いた仲間がいたからだ。そしてなによりも、先頭になって戦っていたリーダー然とした男子生徒の存在が大きかった。
 初恋、だったのだと思う。
 彼に飾らなくていいと言われたとき、まるで救われたような気さえした。あのときの喜びを、今でも忘れられないでいる。
 写真の中の笑顔に、指先をそっと触れさせる。
 最後に会ったのは、卒業式の日だった。
 旅に出るというのを知っていながら、別れが怖くて見送りに行けなかった。拒まれることが恐ろしくて、想いを伝えることすらできなかった。帰りを待っているという言葉すら言えず、ぎこちない作り笑いを浮かべて彼の後ろ姿をただ見つめることしかできなかった。
 あれから二年が経ち、桐島は大学生とモデルの二足のわらじを履いている。自分を偽ることなく、毎日を過ごせている。
 胸にポストカードを抱いて、瞳を閉じる。
 卒業式の後悔の分、次に会うときには胸を張る、そう決めたのだ。決めても、本当はまだ怖い。怖いけれど、でも、怖くても――。
 決意とともに顔を上げると、変わりたいと願って短く切った髪が、自分を鼓舞するように優しく揺れた。
 明日、電話をしよう。同じ人を愛する、大切な親友に。













4. 園村麻希

 心臓がどきどきして破裂するのではと思った。
 柊サイコセラピーでの仕事には、とてもやり甲斐を感じていた。時々、訪れる人々にかつての自分を重ねてしまって自身の未熟さを痛感することもあるが、それを含めても有意義な日々だった。
 それでも、疲労は等しく人にやってくる。カウンセラーの卵として働く園村麻希は、人々から聞いた悩みの分だけ重たくなった足取りで帰宅した。
 園村は母親の節子と二人で暮らしている。家に帰るなり、節子がやけに嬉しそうな顔で一枚の葉書を差し出してきた。これなあに、と言いながら受け取った途端、園村は半ば悲鳴のような声を上げて、部屋に駆け込んだ。
 それから、胸の高鳴りがずっと続いている。疲れもどこかへ飛んで消えたような気すらした。
 園村は、渡されたポストカードに書かれた短い言葉を、ただひたすら見つめていた。差出人は、高校の同級生。かつて深い闇の中から自身を救い出してくれた仲間の一人であり、そして、想い人だった。
『今度、日本へ帰ろうと思ってる』  ともすれば愛想なしとも取れるほどのシンプルな言葉は、だがしかし、それゆえに園村の心を強く揺り動かした。
 不思議な輝きを帯びたコンパクトを久方ぶりに胸にかけ、鏡の前へ立つ。姿見に映る姿は、心も体も病んでいた三年前の自分とは違う。
 就職をした。引っ越しをした。肩まであった髪をベリーショートにした。少しだけ大人になった。あの頃、病室のベッドで夢見ていた《理想のわたし》に近付けた。
――だいじょうぶ。今のわたし、あの人に胸を張っておかえりなさいって言えるよ。
 鏡の向こうの自分へ微笑んでうなずいたのと同時、携帯電話に着信が入った。
 表示された名前を見て、園村の笑顔が一層深まる。
「エリー! ひっさしぶりー!」
 おかえりなさいを、彼に言おう。――大人になっても、どこで何をしていても、大好きな彼に! 大好きなみんなで!













5. 城戸玲司

 城戸玲司は、ひどく悩んでいた。
 携帯電話を前に胡坐をかいたまま時間が経ち、電話を手に持っては時間が経ち、番号を押そうとしては時間が経ち、実に小一時間が経過しようとしていた。
「うおおおおっ!」
 獣のような雄叫びを上げ、頭を抱える。
 たった一件、電話をかけようとするだけでこの有様である自らに、城戸はいくらか苛立っていた。
 元々一匹狼だった城戸は、人付き合いが大の苦手であった。
 ただでさえ対面でうまくやれないことが、顔の見えない電話でうまくできるわけもない。日中はセールスなんて自分に合わない仕事をしているにも関わらず、成長できている実感がなくて鬱屈としていた。
 それでも、伝えたいことが、伝えなくてはならないことがある。なのに、また明日と先延ばしにして、今日で何日が経っただろうか。
 携帯電話を放り出し、考えるのをやめる。頭からかぶった布団の中で、舌打ちが虚しく鳴った。
 さらに数日後、先日と同じ煩悶を抱えながら帰宅した城戸は、何かに呼ばれるようにして郵便受けを見た。ポスティングされた大量のチラシの中、一通のポストカードが入っている。高校時代の懐かしい仲間からのものだった。
 最初に出会ったとき、弱そうな男だと思った。他のクラスメイトに比べて物静かで、そういうところは嫌いではなかった。だが、あの頃の自分は、腹違いの兄やその一族への復讐しか考えていなかった。互いに寡黙なだけに、きっと関わることのない相手だろうと、そう思っていた。
 しかし、あの事件でともに戦いを重ねるうち、城戸はいつしか、そのあまり強そうには見えない同級生に一目を置き、自分の拳を預けたのだった。
 あれから、城戸の生き方はそれまでとは一変した。
 独りだった自分に、仲間ができた。過去や復讐しか考えなかった自分が、未来のことを考えるようになった。家族以外から向けられる優しさを知り、返すこと、与えることの難しさを知った――だからこそ。
「変わりてぇと願ったのは、てめぇ自身じゃねえか……」
 今度は別の形で母親を守りたいのだと、守るために生きるのだと、そう決めたのは自分自身だった。そのために、およそ自分には似つかわしくない職に就いたのだ。
 大きく息を吐く。スーツのポケットから携帯電話を手に取る。《家》と書かれたメモリを呼び出し、もうひとつだけ深呼吸をする。電話をかける前に、仲間からの便りをいま一度眺めた。
 ふと、アメリカのアートスクールに通う仲間の一人のことを思い出す。
 三年前にはわからなかったが、今ならば、彼があのとき必死で園村を守ろうとしていた気持ちもわかる。
 あのときの仲間のように、自分にも母親以外の愛する人ができた。そして、その人の中に、もうひとつ守るべき命ができたことを、つたなくても、たどたどしくてもいいから、自分の言葉で伝えたい。
 通話ボタンを押して程なく、電話が繋がった。
「……おふくろ、元気か?」
 この電話を切ったら、アメリカへ国際電話でもかけてみようか。自分にはうまく積もる話を話せはしないが、それでもきっと、あいつなら笑って聞いてくれるだろう。













6. 南条圭/稲葉正男

 イングランドの夜はよく冷え込む。
 まだ夜の冷たさと暗さが残る霧の中、南条圭はバイクを走らせていた。
 オックスフォードの古き良き街並みは、既にずいぶんと遠く離れた。イングランドの美しい景色を見下ろせる小高い場所で停車させ、バイクから降りる。ヘルメットをやおら外し、ライダースジャケットの胸元に入れたポストカードを取り出すと、自然と口元が和らいだ。
 きっかけは、昨晩かかってきた電話だった。
「よー南条! 元気でやってっかー?」
「稲葉か、久しいな。俺は変わりないが、お前の方はどうだ」
 相手は、単身ニューヨークで絵画の勉強をしている稲葉正男。高校時代の同級生だ。
 当時は考え方が正反対で、お世辞にも仲がいいとは言えなかった稲葉だったが、三年前の事件を契機に親しくなった。今や生涯の中で二度と出会うことのない親友だと思えるほど、大切な仲間のうちの一人である。
 卒業後、オックスフォード大学へ進学した南条は、仲間たちとはあまり連絡を取れていない。特に、同じく国外へ出てしまった稲葉とは生活環境が異なることもあり、彼からの電話はひどく珍しいものだった。
 いくらか近況を報告し合うと、稲葉が本題を切り出す。
「オマエんとこ、アイツからの葉書届いたか? 外国のすげー綺麗なところで撮った写真つきの」
 最近受け取った郵便物の記憶をたぐり寄せ、しばらく考えた後に「いや、知らんな」と答える。
「実はレイジからも、そのことで電話があったんだ。だから、南条にも届くと思うぜー」
「城戸が? それはまた珍しいな……」
 あの口下手な城戸が電話をかけたことを想像して、我知らず微笑んでしまう。
「しかし、そうか。イギリスは郵便事故が多いからな、知らせてくれて助かった。明朝にでも確認しよう」
「おう。でよー、オレはちょうど個展の話があって、その頃日本にいるのが無理かもしんねーんだ。南条はどうすんだろうと思ってな」
「俺は……」
 ふと、返答に詰まる。
 くだんの便りには、近く日本に帰るということが書かれているらしかった。差出人――稲葉いわくの《アイツ》は、仲間のうちでも南条がとりわけ『男』として認めている相手だった。
 だが、卒業式のあの日、「みんなが夢を掴んだら、また全員で会おう」という園村の申し合わせを聞き、南条は、その男に言ったのだ。
 必ず、日本一の男になる、と。
 その約束を、南条はまだ果たせてはいない。
「なあ、南条。オレはここで、毎日色んなヤツと夢を語るんだ。みんなキラキラした顔で話すんだぜ。夢を叶えるまでってのも悪くねーよな。そういうヤツらを見てると、オレもまだまだ上へ行くぜってアツくなるっつーか!」
 止まった言葉をどう思ったのか、稲葉の語る口調は熱い。
「夢を叶えたヤローはそりゃカッコイイけどよ、夢の途中ってのもクールでいいんじゃねーか?」
 電話の向こうで稲葉が一体どんな顔をしているのだろうかと、ゆくりなく思う。
 学力こそ秀でているとは言えないが、人の心の動きに敏い男だ。どこまで見抜いてこのような話をしたのかはわからないが、学生時代から誰に対しても、どんなことに対しても、いつもまっすぐにぶつかっていた姿は変わっていない。
 今もなお、その熱さを胸に秘めている稲葉は、はたしてどのような人間に成長したのだろう。南条は、実際に会って確かめてみたいとさえ感じた。
 そう考えると、仲間たちやあの男に会い、自分の今を推し量りたいという気持ちが、足元から止め処なく湧き上がってくる。
「……そうだな。じきに夏の長期休業に入る、久方ぶりに日本へ戻るのもいいかもしれん」
 おう、と、受話器の向こうで、稲葉が満足げに笑う。
 都合がつけば個展を見に行くという約束をすると、気づけば長くなっていた電話を終え、床に就いた。
 頬を撫でる風に、夜明けの気配を感じる。
 迷いの晴れた心を表すかのような凛とした空気が、ひどく心地よかった。
「夢の途中、か……」
 知らぬうちに、夢は叶えるもの、破れるものと、極端な考えに凝り固まっていたのかもしれない。しかし稲葉の言った通り、夢を叶えるまでの過程もあれば、その過程もまた、抱く夢と同じく誇らしいものだ。
 南条は眼鏡をかけ直し、ふ、と笑う。
「お前に会うのは、夢を叶えてからと思っていたが……そうだな、夢を確かめ合うのも悪くない」
 日本に帰り、執事の墓を参り、そして、仲間に会おう。
 距離も年月も飛び越えて、いつまでも変わらない絆を確かめに。
 眺めていたポストカードを、ジャケットの内側にそっと仕舞う。胸元に置いた手のひらには、あの日、約束とともに彼と交わした握手の熱がずっと宿っている。