10日後に死ぬ老執事|04


 通常であれば、主人の数歩後ろに立つのが執事である。勝手知ったる家の中であればなおさらのことだが、今日は少しばかりその趣を異にしている。
「やまおか、家のこちらがわに近づいてはいけないとぼくに言いつけたのは、ほかでもないお前だろ」
 後ろを歩く主人は、子どもらしいむくれた顔を浮かべる。
「ええ、ええ。この山岡、確かにそう申しておりましたな」
 しかし文句を言いながらも大股でついてくるところが彼の愛すべき長所であると、よく知っている。執事は後方にきっちりと歩幅を合わせながら、くす、と笑いを忍ばせた。
「ぼっちゃまはこの日本を背負って立つ立派な男子になられる御方。心身ともにたくましく在らねばなりませぬ」
 母屋から、離れへ向かう。
 確かにそこは、主人の言う通り、幼い彼には危険だからと遠ざけてあった場所だった。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る、と言いましょう。ぼっちゃまが心の強さを求めるのならば、まずは健やかでなくてはなりませぬ。もちろん肉体ばかりが健やかではいけませんぞ。心を磨いてこそ日本一たり得るのですからな」
 渡り廊下を通り、歩を止める。主人は隣に並び、同じように足を止めた。
「さて、ぼっちゃま。南条家には、代々継がれてきた剣術がございます」
 離れの入り口を前に、膝をつく。表情を真摯に引き締めると、彼もまた、真剣な顔で視線を返してきた。
「その名も、南条一刀流」
 南条一刀流はその名が表す通り、南条の家に古くから受け継がれてきた門外不出の剣術である。
 両手で大太刀を持ち、疾風雷神の如く敵を斬る――それこそが、南条一刀流の極意だ。ゆえに、本来ならば幼子である主人にこの剣術を伝えるのはまだ早い。
「なんじょう、いっとうりゅう」
「左様でございます」
 だが、彼は強さを望んだ。ならば、それに応えてやるのが執事としての務めだろう。
 立ち上がり、おもむろに離れの扉を開く。この場所は、南条家所縁の者のみに開かれた道場だった。手入れの行き届いた道場内に、幼い主人が初めて足を踏み入れる。
「ぼっちゃま、よろしいですか。武芸とは、他人を打ち倒すための手段ではなく、己が精神と己が肉体を鍛えるもの――」
 さて、この南条一刀流。古くは一子相伝とされてきたのだが、長い歴史の中で一家相伝という形に変わっている。それはつまり、親から子、という伝え方ではなくなったということだ。
 執事は、道場内における“上座”で、折り目正しく正座をした。
「この山岡、本日からは南条一刀流の師範として、ぼっちゃまを指導させていただきますぞ」
 にわかに走った緊張を感じ取ったのだろう。主人は、小さな拳をぎゅ、と握り締め、背筋を伸ばした。

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